たこの作者は、どんな戦闘部隊について語つてゐるのだらうか? 元來このやうな戦闘部隊が出来たのは、ずつと後年のことである。作者はまた或る場所で、めす鶯の震へ声のことを書いてゐるが、鳥の雌が鳴かない位のことは、農村の子供なら誰だつて知つてゐる。作者はまた、ある富農の家でキリスト変容祭を祝ふために準備された御馳走のことを、「酸クリームでこつてり味をつけ、そしてバタを初氷のやうに薄くぬつた大麦製のでかい饅頭、アンナの胸のやうに豊麗な小麦製の白いシャニガ(訳注、凝乳菓子の一種)、食卓一杯に並んだ大きな魚入饅頭、それから数へ切れないほどのフヴォーロスト(訳注、油で揚げた焼菓子)や凝乳菓子など。またペーチカの床の上には、脂ぎつた肉のシチュー皿、鱈の耳のスープ皿、ハム、犢肉、松※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]の肉、粥、バタ、ソース等々が、ずらりと並んでゐた。云々」と書いてゐるが、作者が書き並べた数だけの皿を農家のペーチカの床の上に置くことは、物理学的に不可能なのである」。
○序ながら放翁の文中に見えてゐる茘枝《レイシ》のことを説明しておく。この木は、高さ三丈許、葉の状は箭鏃の如くにして平滑、その果は竜眼《リュウガン》(新村出氏の『辞苑』にその図出づ)の実に似て、熟すれば真赤になり、肉は白くして甘き汁に富む。蘇東坡の潮州韓文公廟碑の終に於《ココニ》餐[#三]茘丹与[#二]蕉黄[#一]としてあるが、この茘丹と云ふのが即ち茘枝の果である。恐らく之は極めて珍らしいものなのであらう。放翁は次のやうな事も書き残してゐる。「予、成都議※[#「巾+莫」、よみは「ばく」、490−16]に参し、事を漢嘉に摂し、一たび茘子の熟するを見る。時に凌雲山、安楽園、皆な盛処。糾曹何預元立、法曹蔡※[#「しんにゅう+台」、第3水準1−92−53]肩吾、皆な佳士。相|与《とも》に同じく楽む。薛許昌、亦た嘗て成都幕府を以て来り郡を摂す。未だ久しからずして罷《や》め去る。故に其の茘枝の詩に曰ふ、歳杪監州曾見樹、時新入座但聞名と。蓋し時に及ばざりしを恨める也。毎《つね》に二君と之を誦す」。更に次のやうな他人の事まで書き誌してある。「余深、相を罷《や》めて福州の第中に居る。茘枝あり初めて実《みの》る。絶大にして美、名づけて亮功紅と曰ふ。亮功は深家御書閣の名なり。靖康中、深、建昌軍に謫せられ、既に行く。茘枝復た実らず。明年深帰りしに、茘枝復た故《もと》の如し。云々」。茘枝と云ふものの極めて珍らしきものなることを想像するに足る。
○序に今一つ書き添へておかう。東坡が恵州に謫されてゐた頃の詩に和陶帰園田居六首と題するものがあり、その引の中には「茘子※[#「壘」の「土」に代えて「糸」、第3水準1−90−24]※[#「壘」の「土」に代えて「糸」、第3水準1−90−24]、※[#「くさかんむり/欠」、第3水準1−90−63]実の如し。父老あり、年八十五、指して以て余に告げて曰く、是の食ふ可きに及んで、公、能く酒を携《たづさ》へて来り游ばんかと」としてあるが、更に※[#「くさかんむり/意」、第3水準1−91−30]苡と題する詩の中には、「草木各※[#二の字点、1−2−22]|宜《よろし》きあり、珍産南荒に駢《なら》ぶ。絳嚢茘枝を懸《か》け、雪粉※[#「木+光」、第4水準2−14−63]榔を剖《さ》く」といふ句がある。絳《カウ》はこきあかき色。茘支が真赤に熟したのを、絳《あか》き嚢を懸けたやうだと形容したのであらう。ここにも南荒の珍産としてあるから、暖い南支那以外には滅多に見られないものなのであらう。さて余談のまた余談になるが、続国訳漢文大成に収められてゐる蘇東坡詩集を見ると、先きに引いた句が次のやうに講釈されてゐる。「草木とても各※[#二の字点、1−2−22]宜しきところがあつて、南荒の地に於ては、殊に珍産が並列して居る。茘支は、赤い嚢を雑へて懸くべく、※[#「木+光」、第4水準2−14−63]榔を断ち破れば、中には雪の如き粉があつて、とりどりに珍らしい云々」。ところで、赤い嚢を雑へて懸けるとは、どんなことをするのであらう。不思議に思つて字解のところを見ると、蔡君謨の茘支の詩に、厚葉繊枝雑絳嚢とあるとしてある。なるほど厚葉繊枝の間に雑ざつて茘丹が赤い嚢のやうに懸かつてゐると云ふのなら解かるが、ただ赤い嚢を雑へて懸けるでは、どうにもならない。一体誰がこんな事を書いてゐるのかと巻首を見たら、文学博士久保天随訳解としてあつた。
(五)
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張継の楓橋夜泊の詩に云ふ、姑蘇城外寒山寺、夜半鐘声到[#二]客船[#一]と。欧陽公之を嘲りて云ふ、句は則ち佳なるも、夜半は是れ打鐘の時にあらざるを如何せんと。後人また謂ふ、惟《た》だ蘇州にのみ半夜の鐘ありしなりと。皆な
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