]
○問題とされてゐる句は、少陵の野老声を呑んで哭す、春日|潜《ひそ》かに行く曲江の曲といふ句で始まる七言古詩の結句である。岩波文庫版には欲往城南忘南北[#「南北」に白丸傍点]とし、脚註に「一本に南北を城北に作れるあり」としてあるが、私は城北を南北としては全く駄目だと思ふ。
○荊公集句とは王荊公唐百家詩選のことか。
(二十八)
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今人杜詩を解する、但《た》だ出処を尋ね、少陵の意初めより是の如くならざるを知らず。且つ岳陽楼の詩の如き、昔聞[#(ク)]洞庭[#(ノ)]水、今上[#(ル)]岳陽楼、呉楚東南[#(ニ)]※[#「土+斥」、第3水準1−15−41][#(ケ)]、乾坤日夜浮[#(ブ)]、親朋無[#二]一字[#一]、老病有[#二]孤舟[#一]、戎馬関山[#(ノ)]北、憑[#レ]軒涕泗流[#(ル)]、此れ豈に出処を以て求む可けんや。縦《たと》ひ字字出処を尋ね得しむるも、少陵の意を去る益※[#二の字点、1−2−22]遠し。蓋《けだ》し後人|元《も》と杜詩の古今に妙絶なる所以《ゆゑん》のもの何処に在るやを知らず、但《た》だ一字も亦た出処あるを以て工《たくみ》と為すも、西崑酬倡集中の詩の如き、何ぞ曾《かつ》て一字の出処なき者あらん、便《すなは》ち以て少陵に追配せんとする、可ならんや。且つ今人の作詩、亦た未だ嘗て出処なきはあらざるも、渠《かれ》自ら知らざるのみ、若し之が箋注を為さば、亦た字字出処あらん、但だ其の悪詩なるを妨げざるのみ。(老学庵筆記、巻七)
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(二十九)
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老杜の薛三郎中に寄す詩に云ふ、上[#レ]馬不[#レ]用[#レ]扶、毎[#レ]扶必怒瞋[#(ス)]と。東坡の喬仝を送る詩に云ふ、上[#レ]山如[#レ]飛瞋[#二]人[#(ノ)]扶[#一]と。皆な老人を言ふ也。蓋し老人は老を諱《い》むが故のみ。若《も》し少壮なる者ならば、扶《たす》けらるるも扶けられざるも与に可、何の瞋《いか》ることか有らん。(老学庵筆記、巻八)
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(三十)
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欧陽公、梅宛陵、王文恭の集、皆な小桃の詩あり。欧詩に云ふ、雪裏花開[#(イテ)]人未[#レ]知、摘[#(ミ)]来[#(リ)]相顧[#(ミテ)]共[#(ニ)]驚疑、便[#(チ)]須《ベシ》[#二]索[#(メテ)][#レ]酒[#(ヲ)]花前[#(ニ)]酔[#(フ)][#一]、初[#(テ)]見[#(ル)]今年[#(ノ)]第一枝と。初め但《た》だ桃花に一種早く開ける者あるのみと謂《おも》へり。成都に遊ぶに及んで、始めて所謂小桃なる者は、上元前後即ち花を著け、状は垂糸の海棠の如くなるを識る。曾子固の雑識に云ふ、正月二十開、天章閣賞小桃と。正に此を謂ふなり。(老学庵筆記、巻四)[#原文は括弧「〔〕」を使うが、他の所と一致させるため改める]
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○上元は旧暦正月十五日。即ち小桃と云ふのは、百花に先だちて正月匆々に咲く海棠に似た花なのである。東坡の陳述古に答ふと題する詩に
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小桃破萼未[#レ]勝[#レ]春、 羅綺叢中第一[#(ノ)]人
聞道《キクナラク》使君歸[#(リ)]去[#(ルノ)]後、 舞衫歌扇總[#(テ)]成[#レ]塵
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といふのがあるが、放翁の説明によつて起承二句の意味がよく分かる。ところで続国訳漢文大成の蘇東坡詩集を見ると、岩垂憲徳氏は、之に対して次のやうな講釈を加へて居られる。「春風が柳を吹いて、緑は糸の如く、晴れた日は、紅を蒸して小桃を出すと云ふが、小桃が紅萼を発いたので、却て春に勝《た》へられない風情がある。そして綾錦羅綺の中に、解語の第一人がある」。凡そ此の種の講釈本をたよりに、漢詩を味ふことの如何に難きかは、之によつて愈※[#二の字点、1−2−22]悟るべきである。
○放翁自身の詩にも次のやうなのがある。序に書き添へて此の稿を了ることにしよう。
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西村一抹[#(ノ)]煙、 柳弱[#(ク)]小桃妍
要[#レ]識[#二]春風[#(ノ)]處[#一]、 先生※[#「手へん+主」、第3水準1−84−73]杖[#(ノ)]前
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八月に入りてより屡※[#二の字点、1−2−22]高熱を発し、九月に入るも未だ癒えず。病間この稿を成す。
[#地から3字上げ]昭和十六年九月九日 閉戸閑人
底本:「河上肇全集 20」岩波書店
1982(昭和57)年2月24日発行
底本の親本:「陸放翁鑑賞 下巻」三一書房
1949(昭和24)年11月発行
入力:はまなかひとし
校正:今井忠夫
2004年5月18日作成
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