ず。明年深帰りしに、茘枝復た故《もと》の如し。云々」。茘枝と云ふものの極めて珍らしきものなることを想像するに足る。
○序に今一つ書き添へておかう。東坡が恵州に謫されてゐた頃の詩に和陶帰園田居六首と題するものがあり、その引の中には「茘子※[#「壘」の「土」に代えて「糸」、第3水準1−90−24]※[#「壘」の「土」に代えて「糸」、第3水準1−90−24]、※[#「くさかんむり/欠」、第3水準1−90−63]実の如し。父老あり、年八十五、指して以て余に告げて曰く、是の食ふ可きに及んで、公、能く酒を携《たづさ》へて来り游ばんかと」としてあるが、更に※[#「くさかんむり/意」、第3水準1−91−30]苡と題する詩の中には、「草木各※[#二の字点、1−2−22]|宜《よろし》きあり、珍産南荒に駢《なら》ぶ。絳嚢茘枝を懸《か》け、雪粉※[#「木+光」、第4水準2−14−63]榔を剖《さ》く」といふ句がある。絳《カウ》はこきあかき色。茘支が真赤に熟したのを、絳《あか》き嚢を懸けたやうだと形容したのであらう。ここにも南荒の珍産としてあるから、暖い南支那以外には滅多に見られないものなのであらう。さて余談のまた余談になるが、続国訳漢文大成に収められてゐる蘇東坡詩集を見ると、先きに引いた句が次のやうに講釈されてゐる。「草木とても各※[#二の字点、1−2−22]宜しきところがあつて、南荒の地に於ては、殊に珍産が並列して居る。茘支は、赤い嚢を雑へて懸くべく、※[#「木+光」、第4水準2−14−63]榔を断ち破れば、中には雪の如き粉があつて、とりどりに珍らしい云々」。ところで、赤い嚢を雑へて懸けるとは、どんなことをするのであらう。不思議に思つて字解のところを見ると、蔡君謨の茘支の詩に、厚葉繊枝雑絳嚢とあるとしてある。なるほど厚葉繊枝の間に雑ざつて茘丹が赤い嚢のやうに懸かつてゐると云ふのなら解かるが、ただ赤い嚢を雑へて懸けるでは、どうにもならない。一体誰がこんな事を書いてゐるのかと巻首を見たら、文学博士久保天随訳解としてあつた。

       (五)

[#ここから2字下げ]
 張継の楓橋夜泊の詩に云ふ、姑蘇城外寒山寺、夜半鐘声到[#二]客船[#一]と。欧陽公之を嘲りて云ふ、句は則ち佳なるも、夜半は是れ打鐘の時にあらざるを如何せんと。後人また謂ふ、惟《た》だ蘇州にのみ半夜の鐘ありしなりと。皆な
前へ 次へ
全17ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
河上 肇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング