夢やぶられてけふここに関八州を急ぎすぎゆく
[#地から1字上げ]十月二十四日

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秋の一日
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こもりゐにをしきひと日と思ひしにかぎろひあへずくもる秋の陽《ひ》
電灯をつくるにはやきひとときを火鉢によりてたばこ吸ひをり
[#地から1字上げ]十月三十一日

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原鼎君に寄す
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蓼科のあかきこぞめの葡萄葉のひろ葉たまひしを思ひ出づる秋[#地から1字上げ]同上

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東京より畑田氏夫妻わざ/\尋ね来られむとす
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たづねくる友は眼をとぢ汽車ぬちにゆれてあらむと思《も》ひてねにつく
楽しくも遠くゆ友の訪ひくるに勧むべきもの一つなき世ぞ[#地から1字上げ]十月三十一日

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閑居を楽む
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秋の陽《ひ》をそがひにしつつ灸すうるひまさへありてのどに老いゆく
うつせみは弥陀仏の園《その》に遊ぶかと思ほゆるまでこころなぎをり
老いぬれば軽き机ぞよろしけれ陽《ひ》にあたらまくあさゆふにうつす
くさぐさの世のつねならぬ夢も見つあといくとせのうつつともよし
かへりみば六十四歳の今のさがわがをさなくてありし日のごと
かにかくに力のかぎり咲きいでて咲きみだれつつ衰ふらむか
夢となりぬや栗毛の馬に鞭あつるもののふがにも京を立ちしが(居を東京に移せしは昭和五年の一月の初なり、今や早く十三年前の夢と化しぬ)
あたたかにすぐるは分に越えむかと寒さにたへてうすぎしてをり
紙のへに白髪《しらが》落ちくるしきりなりみんなみのまどにふみよみをれば
四坪《よつぼ》にも足らはぬ庭のすみながら赤ばみてゆく南天の実《み》あはれ
うす寒く曇れる秋のゆふぐれを碁譜ならべつつ人をこほしむ
書《しょ》にあきぬ碁をうつ友の今来なば嬉しからむか秋のゆうぐれ
朝な夕なをしものなべてまうほりて貧しかる身はすくよかに生く[#地から1字上げ]十一月三日、四日

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生日
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いとけなきわれをすずろに愛《かな》しみしおほちちのとしいまこえむとす
手錠して荒川の獄に移されし秋雨《あきさめ》のけふぞ忘らえなくに
[#地から1字上げ]十月二十日

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清水寺
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南洲の詩碑仰がむとけふもまた五条阪を登りゆくなり
いくたびかわれここに憩ふなど思ひ忠僕茶屋にあまざけをのむ
むかしわれ父にはべりて詣うでたる清水寺に曼珠沙華咲くも
名に負へる乙羽《おとば》ヶ滝のまづしさにほほゑみたまひし父の面影[#地から1字上げ]十一月三日

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大原に遊ぶ 聯作三十二首
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妻子らと八瀬大原の秋見むと朝晴れのけふ家をつれたつ
ことし春ははと遊びし八瀬にまた秋のなかばを吾子《あこ》につれらる
バスに乗り映画見るがに動きゆく山に見はりて大原に入る
大きなる庭石曳きて京に入る牛にも逢ひつ大原の野路《のぢ》
大原はなべて美し山くまの屋なみ美し柿の実赤く
名も知らぬ大樹《ふとき》黄いろくもみぢして造れるがごと山々に立つ
いかにして君に伝へむ大原の身にしむまでにたたふる秋の気
大原や時雨に逢ひて傘買ひて畑中の路に雨の山見る
しぐれたるあとのおちばの色のはえ踏むを惜みて谿の道ゆく
もみぢ葉は落ちしたまゆら掌《て》にとりて濃染《こぞめ》のさやけ賞づべかりけり
もみぢ葉のこぞめの色の色こきを君に見せなと拾い来りつ
たたなはる山のおくがの雨空に雪かと見ゆる比良の山膚《やまはだ》
まなかひの峰に虹たち入日さし時雨の雲は西より晴れ来《く》
黄にみのり半ばはすでに刈られある稲田のくろを尼かへりくる
いのちありて名のみ聞きゐし大原の寂光院をけふぞ見にこし
のぼりきて院のみぎりにわれ立てばかけひの音のさやに聞こゆる
ひるくらきみ堂のうちを案内《あない》して若き尼僧の声もさやけき
あないせる尼僧のともすらふそくのゆらぐほのほにうかぶ御《おん》像
ひとたびはをさなみかどのおんあとをうみにいりましし建礼門院
思ひ見れば寿永の涙たまなしてなほこの堂ぬちにおちゐたりけむ
荒波のとよむにも似て松風の吹きすさぶ夜の夢の浮橋
深山辺《みやまべ》に豊明《とよのあかり》をいやとほみ人老いにつつ月にみたたす
ここにしてつひのやどりとねむりたる人のいのちはただ詩のごとし
合掌の阿波の局の木像は安徳の御衣《ぎよい》を纏ふと云ふも
石仏《いしぶつ》は三万の小《こ》ほとけむねにいだきもだしつつ立たす今に八百年
赤黄青|三段《みきだ》に染まるかへるでの濃染《こぞめ》の色は見しこともなし
いにしへを見つつ偲《しぬ》べと枯葉ちる池のほとりの石蕗《つはぶき》の花
京になきうまきお萩と門前《もんぜん》
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