時紛また聞かず。
倚爐思往事  炉に倚りて往事を思ひ、
擧首看浮雲  首《かうべ》を挙げて浮雲を看る。
[#地から1字上げ]一月十三日

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閑居 其二
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爛漫朝眠後  爛漫たる朝眠の後、
携孫就午陽  孫を携へて午陽に就く。
讀書歎菲才  書を読みては菲才を歎じ、
曳杖愛長塘  杖を曳いて長塘を愛す。
紅火煮新茗  紅火新茗を煮、
青燈夢故郷  青灯故郷を夢む。
無爲無病叟  無為無病の叟、
閑裡四分忙  閑裡四分の忙。
[#地から1字上げ]一月十六日

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冬夜偶成
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硯池冰欲雪  硯池氷りて雪ならんとするも、
茵蓐暖於春  茵蓐春よりも暖かなり。
憶去年今夜  憶ふ去年の今夜、
幽窗抱膝身  幽窓膝を抱きし身。
[#地から1字上げ]一月二十一日

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莫歎
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免殞身鋒鏑  身を鋒鏑に殞すを免れ、
偸生寂避名  生を偸み寂として名を避く。
莫傷時事否  傷むことなかれ時事の否なるを、
應水到渠成  水到りて渠成るあるべし。
[#地から1字上げ]一月二十二日

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不覺浮沈
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脱得狂瀾地  狂瀾の地を脱し得て、
隨流游魚心  流に随ふ游魚のこゝろ。
棄躯輕似葉  棄躯軽きこと葉に似、
不復覺浮沈  また浮沈を覚えず。
[#地から1字上げ]一月二十四日

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六十初學詩
[#ここで字下げ終わり]
偶會狂瀾咆勃時  偶※[#二の字点、1−2−22]狂瀾咆勃の時に会ひ、
艱難險阻備嘗之  艱難険阻つぶさに之を嘗む。
如今覓得金丹術  如今覓め得たり金丹の術、
六十衰翁初學詩  六十の衰翁初めて詩を学ぶ。
[#地から1字上げ]一月二十六日

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良寛上人
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寂寞空山是故郷  寂寞たる空山これ故郷、
結庵來臥老杉傍  庵を結び来り臥す老杉の傍。
一鉢生涯貧巷吟  一鉢生涯貧巷に吟じ、
千金遺墨富兒藏  千金の遺墨は富児蔵す。
[#地から1字上げ]一月二十九日

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初めて尋ね来し人に贈る
[#ここで字下げ終わり]
世を忘れ世に忘られし門の戸を尋ねて君や道迷ひけむ
[#地から1字上げ]一月三十一日

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出獄後初めて銭湯に浴す、昭和七年夏以来六年目のことなり
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久にわれ浴みずありしと歎きつゝ雪ふるゆふべ銭湯にゆく[#地から1字上げ]二月二日

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われは歌人の歌を好まず
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声あげて歌はむとすれど歌ふべき歌一つなき今の日本
[#地から1字上げ]二月五日

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不賣文
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守節遊方外  節を守りて方外に遊び、
甘貧不賣文  貧に甘んじて文を売らず。
仰天無所愧  天を仰いで愧づる所なく、
白眼對青天[#「天」に「〔ママ〕」の注記]  白眼青雲に対す。
[#地から1字上げ]二月五日

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天荒
[#ここで字下げ終わり]
人老潛窮巷  人は老いて窮巷に潜み、
天荒未放紅  天は荒れて未だ紅を放たず。
狗吠門前路  狗は吠ゆ門前の路、
雲低萬里空  雲はたる万里の空。
[#地から1字上げ]三月一日

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女中急に暇を乞うて帰る、すぐに代りがありさうにもなく、貧居聊か不景気なり
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さかな屋は間近にあれど市場まで鰯買ひにゆく今の貧しさ
老妻のたゞ所在なく坐しをるに所在なくまた我も居向ふ
[#地から1字上げ]三月三十一日、四月五日

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わが家の庭は三坪に足らざれど東隣の桜、枝を伸ばして爛漫たる花をつけたり
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生籬の上越す隣の桜花けふをさかりと咲きにけるかな

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堀江君夫妻来訪、庭に咲きたりとてくさ/゛\の水仙を贈らる
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水仙は白きぞよけれ青き葉に映る真白の色のゆかしも
[#地から1字上げ]四月十一日

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送春
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盡日看雲坐  尽日雲を看て坐し、
愁人獨送春  愁人ひとり春を送る。
落花絲雨裡  落花糸雨の裡、
塵外刑餘身  塵外刑余の身。
[#地から1字上げ]五月五日

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明月
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難忘幽圄月  忘れがたし幽圄の月。
今夜月光圓  こよひ月光まどかなり。
歩月人迷野  月に歩して人は野に迷ひ、
照人月度天  人を照らして月天をわたる。
[#地から1字上げ]五月十二日

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初夏雑詠 二首
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