迹馬蹄塵  門前迹を掃ふ馬蹄の塵。
莫歎凋零交舊絶  歎ずる莫かれ凋零交旧の絶ゆるを、
雪中恩賚脛衣新  雪中恩賚脛衣新たなり。
[#地から1字上げ]二月二十三日

[#ここから2字下げ]
洛北法然院十韻
[#ここで字下げ終わり]
聞説千年昔  聞くならく千年の昔、
法然此開基  法然ここに基《もとゐ》を開くと。
十載重曳杖  十載重ねて杖を曳き、
三歎聊賦詩  三歎聊か詩を賦す。
都塵未曾到  都塵未だ曾て到らず、
湛寂無加之  湛寂之に加ふるなし。
脩竹掩徑竝  脩竹|径《みち》を掩うて並び、
痩松帶苔※[#「奇+支」、第4水準2−13−65]  痩松苔を帯びて※[#「奇+支」、第4水準2−13−65]《かたむ》く。
池底紅鯉睡  池底 紅鯉眠[#「眠」に「〔ママ〕」の注記]り、
嶺上白雲滋  嶺上白雲滋し。
深院晝猶暗  深院 昼 猶ほ暗く、
佛燈如螢煕  仏灯 蛍の如く煕《ひか》る。
地僻磐韻淨  地僻にして磐韻浄く、
山近月上遲  山近うして月上ぼること遅し。
絶不見人影  絶えて人影を見ず、
時有幽禽窺  時に幽禽の窺ふ有り。
春雨椿自落  春雨 椿 自《おのづか》ら落ち、
秋風梟獨悲  秋風 梟 独り悲む。
酷愛物情靜  酷愛す物情の静かなるを、
斯地希埋屍  斯の地|希《ねがは》くは屍《かばね》を埋めむ。
[#地から1字上げ]二月二十六日定
[#ここから3字下げ]
この詩を作りし時、法然院には墓地なきものと思へり。後に至り、そこには名家の新しき墓若干あり、三井家の墓地またここに移さるる由を聞き、わが屍を埋むるはやはり故郷に如かずと思ふに至れり。昭和十七年十二月三十日追記

[#ここから4字下げ]
竹田博士の招待にて秀と共に初めて大阪文楽座を観る
[#ここで字下げ終わり]
文楽やでく泣きむせぶ春の霄
でく泣くにますらを我も泣きにけり
亡びなむ芸《わざ》とも見えず三業のにほひとけゆく春のゆふぐれ[#地から1字上げ]三月十三日

[#ここから2字下げ]
福井君に寄す
[#ここで字下げ終わり]
また来ませいのち短き人の世の
いのち短き春なれば。
わが住む京はうぐひすの
啼くねも高きみやこなり、
苔美はしきみやこなり、
春たけていざよふ水にちる花の
きよらににほふみやこなり。
けふ見ればさくらはすでににほほゑめり、
咲きはえむ日も近からむ
君をも待たでその花の散らまく惜しも。
[#地から1字上げ]三月二十五日

[#ここから2字下げ]
原鼎君寄書見論王安石詩、因繙臨川集累日、
偶春闌而花滿城
[#ここで字下げ終わり]
投老潛窮巷  老に投じて窮巷に潜み、
姓名世莫知  姓名世の知る莫し。
穿櫺春夜月  櫺を穿つ春夜の月、
誰對半山詩  誰《た》ぞや半山の詩に対す。
[#地から1字上げ]四月一日

[#ここから2字下げ]
南窓小庭纔二坪餘、頃日青苔殆覆盡、余愛其如天鵞絨、毎倦書、下堂而坐石、細抽雜草、遂不留纖塵
[#ここで字下げ終わり]
春霄煙雨後  春霄煙雨の後、
※[#「くさかんむり/出」、第3水準1−90−76]※[#「くさかんむり/出」、第3水準1−90−76]填庭苔  ※[#「くさかんむり/出」、第3水準1−90−76]々たり庭を填むの苔。
慇懃抽雜草  慇懃に雑草を抽き、
間拂緑絨埃  しづかに緑絨の埃を払ふ。
[#地から1字上げ]四月一日

[#ここから2字下げ]
洛中新居適意多
[#ここで字下げ終わり]
此地曾居住  此の地曾て居住、
江山故舊情  江山故旧の情。
行藥鳧堤上  鳧堤のほとりを行薬《かうやく》すれば、
衰楊掃石迎  衰楊石を掃うて迎ふ。
[#地から1字上げ]四月二日

[#ここから2字下げ]
義弟大塚有章、幽囚十年、出獄而未旬日、
忽將赴于滿洲、遂不得會、賦詩遣懷
[#ここで字下げ終わり]
十年曾一別  十年曾て一別、
此日君歸家  此の日君家に帰る。
問更向何處  問ふ更に何れの処にか向ふ。
不堪對落花  落花に対するに耐[#「耐」に「〔ママ〕」の注記]へじ。
[#地から1字上げ]四月五日

[#ここから2字下げ]
添夢龍居士所製此君筆奉呈間宮青龍老師
[#ここで字下げ終わり]
貧居無所有  貧居有る所無し、
聊贈一毛錐  聊か贈る一毛錐。
頼破臥龍夢  頼《さいはひ》に臥竜の夢を破れ、
春光嬾困時  春光嬾困の時。
[#地から1字上げ]四月十四日

[#ここから2字下げ]
訪洛北栖賢禪寺、寺者係青龍老師之創建、
雖師平生言私淑良寛上人、堂宇宏壯、不似
五合庵遠、因呈一絶
[#ここで字下げ終わり]
堂廡輪奐寺門新  堂廡輪奐、寺門新たなり、
師曰求貧不得貧  師曰く貧を求めて貧を得ずと。
淪落小儒聊足慰  淪落の小儒聊か慰むに足る、
暮年自是賤貧身  暮年おのづから是れ賤貧の身。
[#地か
前へ 次へ
全19ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
河上 肇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング