亡き友の病みこやりても得ざりしをすくやかにして食《を》すこの餅《もちひ》はも(氷谷博士既に重態に陥られ食慾なかりし折、餅を欲せられしも、この時勢とて入手し得られざりしことを思ひ起して)[#地から1字上げ]十月三十一日
をさな子ら食《は》ますべきものわれにさき送りたまひしこのもちひはも
わがとものこころこもりしもちひなりあなありがたとをがみてたうぶ
届きける木箱あくればもちひ出で蜜柑も出でつ芋もまた出づ[#地から1字上げ]十二月十四日

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間もなく米寿を迎へらるべき伯父上を須磨に見舞ふ、往復途上口占
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竹藪をそがひにしたる家ののき干せる大根陽あたりよきも(電車中近望)
陽あたりの好き家見ればなにとなく羨みて見る老に入りぬる
老い去りて尿近くなり電車にて途中下車を余儀なくされぬ(尿意耐へがたく灘に下車す)
手紙には衰へたりとのらす伯父けふ相見れば矍鑠《くわくしやく》として
八十七にならせたまへる伯父訪へばひとりかたりて人の言《こと》聞かさぬ
ふるきこと頻りに語り今の世は知らさぬがごとわが老いし伯父
何度《なんど》でもけふは何日《なんち》ときくまでにわれ呆《ほ》けたりと伯父ののらする
ただ二つけさ来たばかりとのらしつつ出してたうべし羊羹のつつみ
天つ日はひかりかがやき海の面《も》は行きかふ船のこなたかなたに(須磨浦所見――船なしといへど未だ船影なきまでには至らず)
ゆらゆらとこぎたみてゆく船見れば戦ひのある日ともおもほへず
ひさに見ぬ海辺に立てばふるさとの麻里布の浦の眼に浮かぶかも
入日さすいただきのみはほのあかく煙れるがごと暮るる群山《むらやま》(帰途所見)[#地から1字上げ]十二月十五日

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偉人レーニンを思ふこと頻なり
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たたかひにやぶることのみひたふるにねがひし人もむかしありけり
ふたたびは見る日なけむと決めてゐしレーニン集が今はこほしき[#地から1字上げ]十二月十六日

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末川君の南行を送りて
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おほぞらゆあらぶわだつみしたにみてみんなみのしまにとびてゆく君
みんなみにおもむく君をおくるにもこのたたかひのゆくへうれたき
たたかひはさもあらばあれゆかばまづうまざけくみてししたうべませ
うまざけをくむたかどのゆみはるかすひろらなる
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