1字上げ]十一月二十日

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小林輝次君、出征後すでに一年半になん/\として未だ帰らず、各地に転戦、屡※[#二の字点、1−2−22]危地に臨む。頃日その寄せ来りし小照を見るに、疲労の状歴然たり。体重は五貫目を減ぜしといふ。乃ちその小照を余が日誌中に貼り付け、題するに一首を以てす
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小さなる写真なれどもたゝかひの深きつかれのまなざしに見ゆ[#地から1字上げ]十二月八日。

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何不歸
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寂々思郷一廃人  寂々として郷を思ふの一廃人、
何留鬧市嘆清貧  何すれぞ鬧市に留まりて清貧を嘆ずるや。
休怪荒村多吠狗  怪むを休めよ荒村吠狗多し、
寄身愛此馬蹄塵  身を寄せて此の馬蹄の塵を愛す。
[#地から1字上げ]十二月九日

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歳暮
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干戈収まらず、
人未だ帰らず、
物価いよ/\高くして歳まさに暮れなんとす。
道にそひたる小さなる家より
たゞラヂオのみ
窓の外まで高々と鳴りひゞく。
無帽の老人
ひとり佇みて杖に倚り
天を仰いで長嘯す。
[#地から1字上げ]十二月二十一日

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歳暮憶陣中之小林君、君代劍帶刀、
故第三句用刀字
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一年將盡夜  一年将に尽きなんとするの夜、
萬里未歸人  万里未だ帰らざるの人。
枕刀眠曠野  刀を枕として曠野に眠り、
驚夢別愁新  夢に驚けば別愁新たなり。
[#地から1字上げ]十二月二十七日
[#改段]

  〔昭和十四年(一九三九)〕

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六十一吟
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已躋華壽白頭翁  すでに華寿に躋る白頭の翁、
枕蠹書眠願有終  蠹書を枕として眠り終あらんことを願ふ。
羸駑不與兵戈事  羸駑与からず兵戈の事、
心似山僧萬籟空  心は山僧に似て万籟空し。
[#地から1字上げ]一月元旦

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憶亡友吉川泰嶽居士
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來往風塵學古狂  風塵に来往して古狂を学び、
長忘嶽麓※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]蘭芳  長く嶽麓※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]蘭の芳を忘る。
刑餘始作無爲叟  刑余始めて無為の叟となり、
空倚危欄望北※[#「氓のへん+おおざと」、第3水準1−9
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