ゐる私ですら、少し粗末過ぎると思ふほどであつた。器具類はともかく、食事の粗末なのは、折角転地療養に来てゐてその甲斐がないと思つたから、私は間もなく宿泊料の値上げをして見たが、それもさした効果はなく、青魚の腐敗したのを食べさせられ、全身に発疹したやうなこともあつた。しかし私は、元来どんな境遇にでも満足し得る人間だから、暖い日には海岸を散歩したり、半里ばかり奥にある田辺の町を訪ねて、菓子を買うて来たり(甘党の私は田舎へ行くと、うまい菓子が食べられぬので、いつも弱つた。田辺町の本通りまで買ひに出て見ても、田舎町のこととて気の利いた菓子は得られなかつた。)絵具を持つて写生に出掛けたり、(私は長男の使つてゐた絵具と二三枚の板を持つて来て居た。庭には柑橘類が黄いろく実り、軒下には大根の干してある百姓家を写生したのが一枚、鉢に入れた林檎の静物が一枚、自画像が一枚、これがその時私の描いたもので、後にも先にも私の描いた油絵といへば、一生のうち此の三枚があるだけである。)たまには本を読んだりして、十二月から一月にかけ、この寂しい町の寂しい宿で、丁度一ヶ月の間、日を過ごした。
私の携へた書物は二三冊に過ぎ
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