湯治のためには病人も、みな必ずコーカサスへ行かなければならない」と称されてゐる。それは第一に風景絶佳の地だからである。「コーカサス軍道の風光の雄大秀麗は、遍《あまね》く日本内地を周遊した筆者も、その比を求むるに苦しむ」と、正親町季董氏は言つてゐる。第二にそこに様々な人種が住んでをり、しかもそれらの人種が各※[#二の字点、1−2−22]風俗習慣を異にしてゐるからである。なかんづくゴールック人の服装は非常に美しいもので、男子は、羊の毛皮で作つた高い帽子を冠り、裾長の外套を着、その上から銀で飾つた細い帯をしめ、その帯には必ず短剣を挾んでゐる。女にはまた美人が多いので昔から有名である。自然コーカサスの山中には美しいロマンスの花が咲いたことも屡※[#二の字点、1−2−22]あり、詩人プーシュキンや文豪トルストイなどは、よくかうしたロマンスに取材して、有名な作品を残してゐる。第三に、そこには山間の到るところに温泉が出てをり、そして総ての温泉場は、以前のツァーの離宮や貴族たちの別荘と共に今ではみな民衆のものとなつてゐるからである。げにコーカサスこそは、老子の「小国寡民、其の食を甘しとし、其の服を美しとし、其の居に安んじ、其の俗を楽む」と言へるものの模型と謂つて差支あるまい。私は宏荘な邸宅に住むよりも、小さな庵に住むのを好むと同じやうに、軍国主義、侵略主義一点張りの大国の一員たるよりも、かうした小国寡民の国の一員たることを、寧ろ望ましとする人間なので、これから先きの日本が、どうなるか知らないが、ともかく軍国主義が一朝にして崩壊し去る今日に際会して、特殊の喜びを感ぜざるを得ないのである。
あゝコーカサス! 京都の市民の数倍にも足らぬ人口から成る小さな/\共和国、冬暖かに夏涼しく、食甘くして服美しく、人各※[#二の字点、1−2−22]その俗を楽しみその居に安んずる小国寡民のこの地に無名の一良民として晩年書斎の傍に一の東籬を営むことが出来たならば、地上における人生の清福これに越すものはなからうと思ふ。今私はスターリンやモロトフ等の偉大さよりも、窃に、これらの偉人によつて政治の行はれてゐる聯邦の片隅に、静かに余生を送りつゝあるであらう無名の逸民を羨むの情に耐へ得ない。[#地から1字上げ](昭和二十年九月一日稿)
底本:「河上肇著作集 第九巻」筑摩書房
1964(昭和39)年12月15日発行
入力:はまなかひとし
校正:今井忠夫
2004年1月20日作成
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