歳に達して禄《ろく》十九石を食《は》む一人前の武士となり、長女アサも十八歳の娘盛りになった。
 かくて、私のために叔母に当るアサは、この年にめでたく藤村家に嫁いだ。残っている私の家の願書控を見ると、次のようなのがある。
[#ここから1字下げ]
 「私妹此度藤村十兵衛世倅規矩太郎妻に所望御座候に付、応[#二]真意[#一]取組の内約仕置候間、其儀被[#二]差免[#一]被[#レ]下候様奉[#レ]願候、此段御組頭兼重重次郎兵衛殿へ被[#二]仰入[#一]、願之通り被[#二]成下[#一]候様、宜敷御取持可[#レ]被[#レ]下候頼存候、已上。
 慶応三年丁卯四月十一日  河上源介」
[#ここで字下げ終わり]
 この控には、「四月二十七日被下被差免候」との追記がある。
 叔母には子が出来なかった。そして、どういう事情からであったか、明治十年十月七日、彼女は藤村家から離縁になって家に帰った。その時二十八歳である。
 しかし二ヶ月後の明治十一年一月五日には、玉井進という人の妻になった。この人は当時山口県庁の役人をしていた人で、叔母もまた山口に行った。
 叔母が玉井家に嫁いだ明治十一年には、私の父もすでに三
前へ 次へ
全26ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
河上 肇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング