して烟渚に泊せば、
日暮客愁新 日暮れて客愁新たなり。
野曠天低樹 野曠うして天《そら》樹に低《た》れ、
江清月近人 江清うして月人に近し。
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小杉放庵の『唐詩及唐詩人』には、この詩の起句を「烟渚に泊す[#「泊す」に白丸傍点]」と読み切つてあり、結句を「月人に近づく[#「近づく」に白丸傍点]」と読ませてある。しかし私は、「烟渚に泊せば[#「泊せば」に白丸傍点]」と読み続けたく、また「月人に近し[#「近し」に白丸傍点]」と、月を静かなものにして置きたい。
なほ野曠天低樹は、舟の中から陸上を望んだ景色であり、そこの樹はひろびろとした野原の果てにある樹なので、遥に人に遠い。(近ければ野曠しと云ふことにならない。)次に江清月近人の方は、舟の中から江を望んだ景色であらう。そして江清しと云ふは、昼間見た時は濁つてゐたのに、今は月光のため浄化されてゐるのであらう。月はもちろん明月で、盥《たらひ》のやうに大きく、ひどく近距離に感じられるのである。私は明月に対し、月が近いとは感じても、月が自分の方へ近づいて来ると感じ〔た〕ことはない。で月人に近しと読み、月人に近づくと読むことを欲しない。
○
孟浩然の詩で唐詩選に載せられて居るものは七首あるが、その何れにも現れて居ない特徴が、全集を見ると眼に映じて来る。それは同じ文字が一つ詩の中に重ね用ひられて居ると云ふことである。例へば「友人の京に之くを送る」と題する五絶に、次のやうなのがある。
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君登青雲去 君は青雲に登りて去り、
余望青山歸 余《われ》は青山を望んで帰る。
雲山從此別 雲山これより別かる、
涙濕薜蘿衣 涙は湿す薜蘿《ヘイラ》の衣《ころも》。
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僅か二十字のうち、青雲青山雲山と同じ字が三つも重なつてゐるが、その重なり方がおもしろい。吾々は少しも不自然を感ぜず、却て特殊の味ひを覚える。
以下重字の例を列記して見る。
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朝游訪名山[#「山」に白丸傍点]、山[#「山」に白丸傍点]遠在空翠。(尋香山湛上人)
悠悠清江水[#「水」に白丸傍点]、水[#「水」に白丸傍点]落沙嶼出。(登江中孤嶼)
鴛鴦※[#「さんずい+鷄」、第4水準2−94−45」]※[#「(來
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