ら/\してゐる彼には、子供がいら/\してゐる訳が胸に徹《こた》へるやうだつた。あんなにしんねりむつつり[#「しんねりむつつり」に傍点]と首《はじめ》も尻尾もなく、小言を聞かされてはたまるものか、何んだつてもつとはつきり[#「はつきり」に傍点]しないんだ、と思ふと彼の歯は自然《ひとりで》に堅く噛み合つた。彼はさう堅く歯を噛み合はして、瞼《まぶた》を堅く閉ぢて、もう一遍寝入らうと努《つと》めて見た。塊的《かたまり》になつた睡気は然し後頭の隅に引つ込んで、眼の奥が冴《さ》えて痛むだけだつた。
「早く寝ないとマヽちやんは又あなたを穴に入れますからね」
始めは可なり力の籠つた言葉だと思つて聞いてゐると仕舞には平凡な調子になつてしまふ。子供はそんな言葉には頓着する様子もなく、人を焦立《いらだ》たせるやうに出来た泣き声を張り上げて、夜着を踏みにじりながら泣き続けた。彼はとう/\たまらなくなつて出来るだけ声の調子を穏当にした積りで、
「そんなに泣かせないだつて、もう少しやりやうがありさうなものだがな」
と云つた。がそれが可なり自分の耳にもつけ[#「つけ」に傍点]/\と聞こえた。妻は彼の言葉で注意されても子供を取扱ふ態度を改める様子もなく、黙つたまゝで、無益にも踏みはぐ夜着を子供に着せようとしてばかりゐた。
「おい、どうかしないか」
彼の調子はます/\尖《とが》つて来た。彼はもう驀地《まつしぐら》に自分の癇癪《かんしやく》に引き入れられて、胸の中で憤怒の情がぐん/\生長して行くのが気持がよかつた。彼は少し慄《ふる》へを帯びた声を張り上げて怒鳴り出した。
「光《みつ》! まだ泣いてるか――黙つて寝なさい」
子供は気を呑まれて一寸《ちよつと》静かになつたが、直ぐ低い啜《すゝ》り泣きから出直して、前にも増した大袈裟《おほげさ》な泣き声になつた。
「泣くとパヽが本当に怒《おこ》るよ」
まだ泣いてゐる。
その瞬間かつ[#「かつ」に傍点]と身体中の血が頭に衝《つ》き上つたと思ふと、彼は前後の弁《わきま》へもなく立上つた。はつと驚く間もあらせず、妻の傍をすり抜けて、両手を子供の頭と膝との下にあてがふが早いか、小さい体を丸めるやうに抱きすくめた。不意の驚きに気息《いき》を引いた子供が懸命になつて火のつくやうに「マヽ……マヽ……パヽ……もうしません……もうしないよう……」と泣き出した時には、彼はもう寝室の唐戸《からど》を足で蹴明けて廊下に出てゐた。冷たい板敷が彼の熱し切つた足の裏にひやり[#「ひやり」に傍点]と触れるのだけを彼は感じて快く思つた。その外に彼は何事をも意識してゐなかつた。張り切つた残酷な大きな力が、何等の省慮もなく、張り切つた小さな力を抱へてゐた。彼はわなゝく手を暗《やみ》の中に延ばしながら、階子段《はしごだん》の下にある外套掛《ぐわいたうか》けの袋戸《ふくろど》の把手《ハンドル》をさぐつた。子供は腰から下が自由になつたので、思ひきりばた[#「ばた」に傍点]/\と両脚でもがいてゐる。戸が開いた。子供はその音を聞くと狂気の如く彼の頸《くび》にすがり付いた。然し無益だ。彼は蔓《つる》のやうにからみ付くその手足を没義道《もぎだう》にも他愛なく引き放して、いきなり外套と帽子と履物と掃除道具とでごつちや[#「ごつちや」に傍点]になつた真暗な中に子供を放り込んだ。その時の気組《きぐみ》なら彼は殺人罪でも犯し得たであらう。感情の激昂《げきかう》から彼の胸は大波のやうに高低して、喉は笛のやうに鳴るかと思ふ程|燥《かわ》き果て、耳を聾返《つんぼが》へらすばかりな内部の噪音《さうおん》に阻《はゞ》まれて、子供の声などは一語も聞こえはしなかつた。外套のすそ[#「すそ」に傍点]か、箒《はうき》の柄か、それとも子供のかよわい手か、戸をしめる時弱い抵抗をしたのを、彼は見境もなく力まかせに押しつけて、把手《ハンドル》を廻し切つた。
その時彼は満足を感じた、跳《をど》り上りたい程の満足をその短い瞬間に於て思ふ存分に感じた。而して始めて外界に対して耳が開けた。
戸を隔てて子供の泣く声は憐れにも痛ましいものであつた。彼と妻とに嘗《な》めるやうにいつくしまれたこの子供は今まで真夜中にかゝるめ[#「め」に傍点]には一度も遇《あ》つた事がなかつたのだ。
彼は何かに酔ひしれた男のやうに、衣紋《えもん》もしだらなく、ひよろ/\と跚《よろ》けながら寝室に帰つて、疲れ果てて自分の寝床に臥《ふ》し倒れた。そつと頭を動かして妻を見ると、次の子供の枕許《まくらもと》にしよんぼり[#「しよんぼり」に傍点]とあちら向きになつて、頭の毛を乱してうつ向いたまゝ坐つてゐた。
それを見ると彼の怒りは又乱潮のやうに寄せ返した。
「あなたは子供の育て方を何んだと思つてるんだ」
気息《いき》がはずん
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