のか、それとも自分が労働者になるということなのか。もし前者だとすると堺氏はいかにも労働者の立場に立っているのであり、後者だとすると堺氏といえども労働者の立場に立っているとは僕には思われない(僕に思われないばかりでなく、堺氏自身後者にあるものではないと僕に言明した)。今度は「運動に参加する」という言葉だ。堺氏はこれまで長い間運動に参加した人である。誰でもその真剣な努力に対しての功績を疑う人はなかろう。しかしながら以前と違って、労働階級が純粋に自分自身の力をもって動こうとしだしてきた現在および将来において、思いやりだけの生活態度で、労働者の運動に参加しようとすることが、はたして労働階級の承認するところとなるであろうか。僕はここに疑問を插《はさ》むものである。結局堺氏は、末座ながら氏が「中流階級の人道主義者」とある軽侮なしにではなく呼びかけたところの人々の中に繰り入れられることになるのではなかろうか。すなわち、「自分の中流階級的立場から、自分のできるだけのことをする」人々の一人となるのではなかろうか。もし僕の堺氏について考えているところが誤っていないとしたら、そして僕が堺氏の立場にいたら、労
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