々は文化的にある程度までブルジョアジーに妥協し、その妥協の収穫物を武器としてブルジョアジーに当たっている時である。僕の言葉でいうならば第四階級と現在の支配階級との私生児が、一方の親を倒そうとしている時代である。そして一方の親が倒された時には、第四階級という他方の親は、血統の正しからぬ子としてその私生児を倒すであろう。その時になって文化ははじめて真に更新されるのだ。両階級の私生児がいちはやく真の第四階級によって倒されるためには、すなわち真の無階級の世界が闢《ひら》かれるためには、私生児の数および実質が支配階級という親を倒すに必要なだけを限度としなければならない。もしその数なり実質なりが裕《ゆた》かに過ぎたならば、ここに再び新たな容易ならざる階級争闘がひき起こされる憂いが十分に生じてくる。なぜならば私生児の数が多きに過ぎたならば、ここにそれを代表する生活と思想とが生まれ出て、第四階級なる生みの親に対して反駁《はんばく》の勢いを示すであろうから。
そして実際私生児の希望者は続々として現われ出はじめた。第四階級の自覚が高まるに従ってこの傾向はますます増大するだろう。今の所ではまだまだ供給が需
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