識はその根を感情までおろしていなければならない。科学のようなごく客観的に見える知識でさえが、それを組み上げた学者の感情によって多少なり影響されているのを見ることがあるではないか。いわんやそれが人事に密接な関係をもつ思想知識になってくると、なおのことであるといわなければならない。この事実が肯定されるなら、私がクロポトキンやレーニンやについて言ったことは、奇矯《ききょう》に過ぎた言い分を除去して考えるならば、当然また肯定さるべきものであらねばならない。これらの偉大な学者や実際運動家は、その稀有《けう》な想像力と統合力とをもって、資本主義生活の経緯の那辺にあるかを、力強く推定した点においては、実に驚嘆に堪えないものがある。しかしながら彼らの育ち上がった環境は明らかに第四階級のそれではない。ブルジョアの勢いが失墜して、第四階級者が人間生活の責任者として自覚してきた場合に、クロポトキン、マルクス、レーニンらの思想が、その自覚の発展に対して決して障碍《しょうがい》にならないばかりでなく、唯一の指南車でありうると誰がいいきることができるか。今は所有者階級が倒れようとしつつある時代である。第四階級の人
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