むちう》つような不自然さがあった。しかし今はもうそんなものだけはなくなった。僕の心は水が低いところに流れて行くような自然さをもって僕のしようとするところを肯《がえ》んじている。全く僕は蟄虫が春光に遇っておもむろに眼を開くような悦《よろこ》ばしい気持ちでいることができる。僕は今不眠症にも犯されていず、特別に神経質にもなっていない。これだけは自分に満足ができる。
ただし蟄眠期を終わった僕がどれだけ新しい生活に対してゆくことができるか、あるいはある予期をもって進められる生活が、その予期を思ったとおりに成就してくれるか、それらの点に行くとさらに見当がつかない。これらについても十分の研究なり覚悟なりをしておくのが、事の順序であり、必要であるかもしれないけれども、僕は実にそういう段になると合理的になりえない男だ。未来は未来の手の中にあるとしておこう。来たるべきものをして来たるべきものを処置させよう。
結局僕の今度の生活の展開なり退縮なりは、全く僕一個に係《かかわ》った問題で、これが周囲に対していいことになるか、悪いことになるかはよくわからない。だけれども僕の人生哲学としては、僕は僕自身を至当に
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