要に充《み》たない恨みがある。しかしながら同時に一面には労働運動を純粋に労働者の生活と感情とに基づく純一なものにしようとする気勢が揚りつつあるのもまた疑うべからざる事実である。人はあるいはいうかもしれない。その気勢とても多少の程度における私生児らがより濃厚な支配階級の血を交えた私生児に対する反抗の気勢にすぎないのだと。それはおそらくはそうだろう。それにしてもより稀薄に支配階級の血を伝えた私生児中にかかる気勢が見えはじめたことは、大勢の赴《おもむ》くところを予想せしめるではないか。すなわち私生児の供給がやや邪魔になりかかりつつあるのを語っているのではないか。この実状を眼前にしながら、クロポトキン、マルクス、レーニンらの思想が、第四階級の自覚の発展に対して決して障礙《しょうがい》にならないばかりでなく、唯一の指南車でありうると誰が言いきることができるだろう。だから私は第四階級の思想が「未熟の中にクロポトキンによって発揮せられたとすれば、それはかえって悪い結果であるかもしれない」といったのだった。そして「クロポトキン、マルクスたちのおもな功績はどこにあるかといえば……第四階級以外の階級者に対して、ある観念と覚悟とを与えた点にある……資本王国の大学でも卒業した階級の人々が翫味《がんみ》して自分たちの立場に対して観念の眼を閉じるためであるという点において最も苦しいものだ」といったのだ。
そこで私生児志願者が続々と輩出しそうな今後の形勢に鑑《かんが》みて、僕のようにとてもろくな私生児にはなれそうもないものは、まず観念の眼を閉じて、私の属するブルジョアの人々にもいいかげん観念の眼を閉じたらどうだと訴えようというのだ。絶望の宣言と堺氏がいったのはその点において中《あた》っている。兄は堺氏の考えに対する僕の考えをどう思うだろう。
この手紙も今までにすでに長くなり過ぎたようだ。しかしもう少し我慢してくれたまえ。今度は片山氏の考えについてだ。「いかに『ブルジョアジーの生活に浸潤しきった人間である』にしても、そのために心の髄まで硬化していないかぎり、狐《きつね》のごとき怜悧《れいり》な本能で自分を救おうとすることにのみ急でないかぎり、自分の心の興奮をまで、一定の埓《らち》内に慎ませておけるものであろうか。……この辺の有島氏の考えかたはあまりに論理的、理智的であって、それらの考察を自己の情感の底に温めていない憾《うら》みがある。少なくとも、進んで新生活に参加する力なしとて、退いて旧生活を守ろうとする場合、新生活を否定しないものであるかぎり、そこに自己の心情の矛盾に対して、平らかなりえない心持ちの動くべきではないか」と片山氏はあるところで言っている。兄よ、前に述べたところから兄も察するであろうごとく、もし僕に狐のような怜悧な本能があったならば、おそらく第四階級的作品を製造し、第四階級的論文を発表して、みずから第四階級の同情者、理解者をもって任じていたろうと思うよ。相当にぜいたくのできる生活をして、こういう態度に出るほど今の世に居心地のよい座席はちょっとあるまいと思われるから。自己の心情の矛盾に対して、平らかなりえない心持ちの動くべきではないかとの氏の詰問には一言もない。僕は氏が希望するほどにそうした心持ちを動かしてはいなかったようだ。ここで僕は氏に「己《おの》れはあえて旧生活を守りながら、進んで新生活の思想に参加せんとする場合、新生活を否定しないものであるかぎり、そこに自己の心情に対して、平らかなりえない心持ちの動くべきではないか」と尋ねてみたいとも思うが、それは少し僭越《せんえつ》過ぎることだろうか。
次に氏は社会主義的思想が第四階級から生まれたもののみでないことを言っているが、今までに出た社会主義思想家と第四階級との関係は僕が前述したとおりだから、重複を厭《いと》うことにする。ただ一言いっておきたいのは僕たちは第四階級というと素朴的に一つの同質な集団だと極める傾向があるが、これはあまりに素朴過ぎると思う。ブルジョア階級と擬称せられる集団の中にも、よく検察してみるとブルジョア風のプロレタリアもいれば、プロレタリア風のブルジョアもいるというように、第四階級も決して全部同質なものでないと僕は信ずるのだ。第四階級をいうならば、ブルジョアジーとの私生児でない第四階級に重心をおいて考えなければ間違うと僕は考えるものだ。そして在来の社会主義的思想は、私生児的第四階級とおもに交渉を持つもので、純粋の第四階級にとっては、あるいは邪魔になる者ではないかと考えうるということを付言しておく。そんな区別をするのは取り越し苦労だ。現在の問題だけを(すでに起こりかかりつつある将来の事実などは度外視して)考えていれば、それでいいのだといわれれば、僕はそういった人と、考えの基礎
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