ゝはる学に於ては、人間の本性なる誇大的傾向から去勢されてゐなければならないのだ。
 幻覚の持つ有頂天を無惨にも踏み躙る冷やかな徹視。彼れ科学者こそは、謂ひ得べくは、まことの自然を創造するものだ。人間を裏切つて自然への降伏を敢てするものは彼れだ。
 水に於ては死水を、大気に於ては赤道直下を、大地に於ては細菌なき土壌を、而して人生に於ては感激なき生活を。
 古人が悪魔と名けたところのものは、即ち近代が科学者と呼ぶところのものだ。人間が自覚の初期に於て、誇大した自己を自然に向つて投写したのが、神だつた。又その誇大性から人間を自然に還元しようとする精神を具体化したのが悪魔だつた。それ故に人間は神を崇び悪魔を避けた。然しながら自覚の成熟と共に、神は人間の中に融けこんで芸術的衝動となり、悪魔も亦人間の中に融けこんで批評的精神となつたのだ。

         *

 然らば科学者は畢竟人間的進軍の中に紛れこんだ敵の間諜に過ぎないのか。さうだ。而してさうではない。
 人間は既に誇大されたものを自然そのものであるかの如く思ひこんで、それを更らに誇大することはないか。
 無いどころではない。余りにそれはあり過ぎる。人間は屡彼れの特権を濫用することによつて、特権のために濫用される。大地に根をおろして、梢を空にもたげるものは栄える。梢に大地をつぎ木して、そこに世界を作らうとするものは危い。而してこの奇怪な軽業が、如何に屡わが芸術家によつて好んで演出されるよ。
 科学の冷やかな三十棒は、大地に倚つて立つ木の上にも加へられるだらう。けれども、その木はその三十棒を膏雨として受取ることが出来る。然しながらその三十棒が、梢につぎ木された大地の上にふり降される時、それは天地を暗らくする頽嵐となつて働くのだ。
 人はこの頽嵐を必要としないか。
 人は、土まみれになつたその梢の洗らひ浄められるのを、首を延べて待ち望んでゐるではないか。
 嵐よ、吹きまくれ。

         *

 科学者への警告。
 君は人間の存在理由を無視するところから出発するものだ。その企ては勇ましい。
 然しながら君は人間の夢を全くさまし切ることは出来ないだらう。何故ならば、人間の夢をさまし切つた時、そこにはもう人間はゐないから。

         *

 一つの強い縄となる為めには、少くとも二つの小索の合力が必要だ。
 自
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