なし得る動物であるといふよりも、自覚の機能を有する動物であるといふよりも、この私のドグマは更らに真相を穿つに近い。若し何々する動物であるといふ提言を以て人間を定義しようとすることが必要であるならば。
 彼れの為すところは、凡て自然の生活からの誇大である。彼れが人間たり得た凡ての力とその作用とは、悉く自然が巧妙な均衡のもとに所有してゐたところのものではないか。人間が人間たり得た唯一の力は、自然が持つ均衡を打破つて、その或る点を無限に誇大するところに成立つ。人類の歴史とは、畢竟この誇大的傾向の発現の歴史である。或る時代にあつては、自然生活の或る特殊な点が誇大された。他の時代にあつては他の点が誇大された。或る地方にあつてはこの点が、而して他の地方にあつてはかの点が誇大された。このやうにして文化が成り立ち、個人の生活が成り立ち而してそれがいつの間にか、人間の他の生物に対する優越を結果した。
 智慧とは誇大する力の外の何者であらう。

         *

 暫らく私のドグマを許せ。画家も亦画家としての道に於て誇大する。
 画家をして自然の生活をそのまゝに受け入れしめよ。彼れは一個の描き能はざる蛮人に過ぎないであらう。彼れには描くべき自然は何所にもあり得ないだらう。自然はそれ自らにしてユニークだから。而して勿論ユニークなものは一つ以上あることが許されないから。
 だから一個の蛮人が画家となるためには、自然を誇大することから始めねばならぬ。彼れは擅まに自然を切断する。自然を抄略する――抄略も亦誇大を成就する一つの手段だ――。自然を強調する。蛮人が画家となつて、一つの風景を色彩に於て表現しようとすると仮定しようか。彼れは先づ自然に存する色彩の無限の階段的配列を切断して、強い色彩のみを継ぎ合すだらう。又色彩を強く表はす為めに、その隣りにある似寄りの色彩を抄略するだらう。又自然に存する各の色を、それに類似した更らに強い色彩によつて強調するだらう。かくの如くして一つの風景画は始めて成立つのだ。それは明らかに自然の再現ではない。自然は再現され得ない。それは自然の誇大だ。その仲間の一人によつて製作された絵画を見た蛮人は、恐らくその一人が発狂したと思つたであらう。何故ならば、それは彼等が素朴に眺めてゐる自然とは余り遠くかけ隔つてゐるから。
 然しながら、本然に人間が持つてゐる誇大性は、直ち
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