農民文化といふこと
有島武郎
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(例)[#地から1字上げ](『文化生活の基礎』大正十二年六月)
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農民文化に就て話せといふことですが、私は文化といふ言葉に就いてさへ、ある疑ひを持つてゐるのでありまして、所謂今日文化と云はれてゐるのは、極く小数の人が享受してゐるに過ぎないのであつて、大多数者には何等及ぼす処の無いものであります。殊に農民文化と云ふに至つては、断然無いと云はなければならぬと思ひます。今日農民のおかれてゐる悲惨な境遇に、どうして文化などを生む余裕があり得ませう。
◇
話は横道へ入るかも知れませぬが、農民に文化が無いと云ふのは、農民に文化を生む力が無いと云ふのとは自づと意味が異りまして、只今日の文化に何等交渉をもたないと云ふまでゝあります。真の文化と云ふものは、人類的なものでなくてはならぬのですが、今日のそれは一部の独占的なものに過ぎないのであります。そこで今日は真の文化と云ふものを大いに普及する必要があるのですが、これまた一朝一夕に容易になし得る事業ではありませぬ。理論的に云つても実際的に云つても、深く突き進んで行けば行く程難関があつて、終極は現在の社会制度、社会生活の欠陥に突き当るのであります。
◇
然らば社会制度の欠陥とは何か、それは近代の社会思想家達の指摘した如く、資本の私有と云ふ誤れる制度に帰すると思ひます。この当然に共有であらねばならぬ筈の資本が、私有されるやうになり、それがために種々の弊害が生じて、当然人類的に進むべき筈の文化が、今日の如き変態的な姿となつて現れるやうになつたのであります。ですからこの制度を改めるに非ずんば、千万言を費しても文化の普及と云ふことは駄目であります。勿論其時代を迎へずして農民文化の問題を取扱ふと云ふことは、早計たるを免れませぬ。
◇
ではこの私有財産制度から、如何にして解放せらるべきかと云ふことが問題でありますが、これは先づ私達が機械化された生活から自由を囘復しなくてはなりませぬ。自由の囘復と云ふことは容易なことでなく、それは多くの学者や実際家が各自に究めようとしてゐる処で、私共門外漢には正しい解決は困難であります。けれども兎に角今日の私有制度を滅さねばならぬと云ふ
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