農場開放顛末
有島武郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)住居《すまひ》
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 小樽函館間の鉄道沿線の比羅夫駅の一つ手前に狩太といふのがある。それの東々北には蝦夷富士がありその裾を尻別の美河が流れてゐるが、その川に沿うた高台が私の狩太農場であります。この農場は、私の父が子供の可愛さから子供の内に世の中の廃りものが出来たときにその農場にゆけば食ひはぐれることはあるまいといふ考へからつくつたものであります。その当時この北海道の土地は財産を投じて経営する大規模の農場には五百町歩まで無償貸附し小規模の農場には五町歩を無償貸附したのでした。そしてその条件は其翌年の内に一部を開墾するといふので道庁から役人がきてそれを検べ一定の年限がたてばその土地をたゞで呉れるといふことになつてゐたのであります。それから地租はたしか十五年間は免ぜられてゐたと思ひます。私は札幌農学校を明治三十四年に卒業しましたが、三十二年からこの農場が私の父によつて経営されました。この農場の面積は四百五十町歩足らずなのであります。私は農学校を卒業する前年の夏にはじめてこの農場を訪れました。倶知安まで汽車で参つてそれから荷馬を用ひ随分と難儀していつたのでした。熊笹はこの天井位の高さにのびて見通しがきかないのみか樹木は天をくらくする位に繁つてゐました。そこに小さい掘立小屋をたてゝ開墾の事務所がありました。初めに入つた農民が八戸でありまして川に沿うたところに草で葺いた小屋をたてゝ開墾に従つたのでした。小作料なしで三年やり三年後から小作料がとれるとかうなつてゐました。その開墾の方法は秋にはいると熊笹に火を点けて焼き最初はそこに蕎麦を蒔く、それから二年目に麦を蒔き三年目からいくらかの収穫があるといふのでした。狩太の農場は三十二年からはじめて。三十七八年に至つて成墾いたし、こゝで私の父の所有になつたのであります。それ迄にどれ丈けの金がかゝつたかといふと凡そ二万であります。二万円ではやすく出来たのでありました。今この農場へ行つてみましても小作人の家屋はその最初と同じ掘立小屋なのであつて牛一頭も殖えてゐないのであります。私はこれを見て非常に変な感じに打たれたのでありますが、せめて家丈けでも板葺きの家が見られるやうになりたいといつても小作人は自分が経済が発展しやうがないので迷惑がるのであります。廿四五年たちました今は七十戸程に増してゐますがその内で障子をたてたりして幾分でも住居《すまひ》らしくなつた家は、小作をし乍ら小金をためて他の小作へ金を貸したりした人のもので、農業ばかりしてゐた小作人の家はいつまでたつても草葺の掘つ立小屋なのであります。この農場の小作人の出入は随分激しく最初からの人はなく始めて七年後に入つたのが一人あります。併し他と比べて私の農場は変らない方なのであります。何分にも農場は太古から斧鉞が入らない原始の豊饒な土地なもので麦などは実に見事に出来るのですがそれにいゝ気になつて、肥料を施さぬものですから廿五六年もたつて全くひどく枯れて了ふといふことが起つてゐます。それに五六年目毎にはげしい虫害を蒙つてその年は小作料をとりあげられる丈でも苦しいといふことがあるのであります。かうした不安の上に、国内経済から国際経済に移つた為でせうが、外国からの穀物の輸入されるやうになつて、その収穫の作物の価の高低がはげしく時にはそれに投じた資金をも回収できない位に作物の価が廉くなるのであります。それから今一つ、この小作人と市場との間にたつ仲買といふのがその土地の作物を抵当にして恐ろしい利子にかけて所謂米塩の資を貸すのであります。小作人はこれにそれを借りねばならないのでありますがそのため時としては収穫したものをそのまゝ持つていかれて仕舞ふことがあるのであります。この仲買といふのが中々跋扈してゐます。
 私は明治廿七八年頃から小作人の生活をみてゐますが実に悲惨なものでありまして、そのため私の農場の附近は現在小作権といふものに殆ど値がないのであります。
 さて私は明治三十六年から明治四十年まで亜米利加に留学しました。亜米利加にゐるときクロポトキンの著作などに親しんだことから物の所有といふことに疑問を抱かされたのでありましたが、帰朝するとすぐ英語の教師となつて札幌に赴任いたしました。
 私は父の財産で少しの不自由もせずに修学してきたのですけれどほんとうのところそれで少しも圧迫されることが無かつたかといへばさうでもありませんでした。『一円の金でもそれは人力車夫が三日働かねば得られないものだ』と父に戒められたことを記憶してゐます。
 人は財産があるがために親子の間の愛情は深められるといひますが私は全く反対だと思ふのです。本能としての愛で愛し合つてこそ其愛情が純粋さを保つのであつ
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