懸命に……一生懸命に……、そして立泳《たちおよ》ぎのようになって足を砂につけて見ようとしたら、またずぶりと頭まで潜《くぐ》ってしまいました。私は慌《あわ》てました。そしてまた一生懸命で泳ぎ出しました。
 立って見たら水が膝《ひざ》の所位しかない所まで泳いで来ていたのはそれからよほどたってのことでした。ほっと安心したと思うと、もう夢中で私は泣声《なきごえ》を立てながら、
「助けてくれえ」
 といって砂浜を気狂《きちが》いのように駈《か》けずり廻《まわ》りました。見るとMは遥《はる》かむこうの方で私と同じようなことをしています。私は駈けずりまわりながらも妹の方を見ることを忘れはしませんでした。波打際から随分遠い所に、波に隠れたり現われたりして、可哀《かあい》そうな妹の頭だけが見えていました。
 浜には船もいません、漁夫《りょうし》もいません。その時になって私はまた水の中に飛び込んで行きたいような心持ちになりました。大事な妹を置きっぱなしにして来たのがたまらなく悲しくなりました。
 その時Mが遥かむこうから一人の若い男の袖《そで》を引《ひっ》ぱってこっちに走って来ました。私はそれを見ると何もかも忘れてそっちの方に駈け出しました。若い男というのは、土地の者ではありましょうが、漁夫とも見えないような通りがかりの人で、肩に何か担《にな》っていました。
「早く……早く行って助けて下さい……あすこだ、あすこだ」
 私は、涙を流し放題に流して、地《じ》だんだをふまないばかりにせき立てて、震える手をのばして妹の頭がちょっぴり水の上に浮《うか》んでいる方を指しました。
 若い男は私の指す方を見定めていましたが、やがて手早く担っていたものを砂の上に卸《おろ》し、帯をくるくると解いて、衣物《きもの》を一緒にその上におくと、ざぶりと波を切って海の中にはいって行ってくれました。
 私はぶるぶる震えて泣きながら、両手の指をそろえて口の中へ押《おし》こんで、それをぎゅっと歯でかみしめながら、その男がどんどん沖の方に遠ざかって行くのを見送りました。私の足がどんな所に立っているのだか、寒いのだか、暑いのだか、すこしも私には分りません。手足があるのだかないのだかそれも分りませんでした。
 抜手《ぬきて》を切って行く若者の頭も段々小さくなりまして、妹との距《へだ》たりが見る見る近よって行きました。若者の身のまわりには白い泡がきらきらと光って、水を切った手が濡《ぬ》れたまま飛魚《とびうお》が飛ぶように海の上に現われたり隠れたりします。私はそんなことを一生懸命に見つめていました。
 とうとう若者の頭と妹の頭とが一つになりました。私は思わず指を口の中から放して、声を立てながら水の中にはいってゆきました。けれども二人がこっちに来るののおそいことおそいこと。私はまた何《なん》の訳もなく砂の方に飛び上りました。そしてまた海の中にはいって行きました。如何《どう》してもじっとして待っていることが出来ないのです。
 妹の頭は幾度《いくど》も水の中に沈みました。時には沈み切りに沈んだのかと思うほど長く現われて来ませんでした。若者も如何かすると水の上には見えなくなりました。そうかと思うと、ぽこんと跳《は》ね上るように高く水の上に現われ出ました。何んだか曲泳《きょくおよ》ぎでもしているのではないかと思われるほどでした。それでもそんなことをしている中《うち》に、二人は段々岸近くなって来て、とうとうその顔までがはっきり見える位になりました。が、そこいらは打寄せる波が崩れるところなので、二人はもろともに幾度も白い泡の渦巻《うずまき》の中に姿を隠しました。やがて若者は這《は》うようにして波打際にたどりつきました。妹はそんな浅みに来ても若者におぶさりかかっていました。私は有頂天《うちょうてん》になってそこまで飛んで行きました。
 飛んで行って見て驚いたのは若者の姿でした。せわしく深く気息《いき》をついて、体はつかれ切ったようにゆるんでへたへたになっていました。妹は私が近づいたのを見ると夢中で飛んで来ましたがふっと思いかえしたように私をよけて砂山の方を向いて駈け出しました。その時私は妹が私を恨《うら》んでいるのだなと気がついて、それは無理のないことだと思うと、この上なく淋《さび》しい気持ちになりました。
 それにしても友達のMは何所《どこ》に行ってしまったのだろうと思って、私は若者のそばに立ちながらあたりを見廻すと、遥かな砂山の所をお婆様《ばあさま》を助けながら駈け下りて来るのでした。妹は早くもそれを見付けてそっちに行こうとしているのだとわかりました。
 それで私は少し安心して、若者の肩に手をかけて何かいおうとすると、若者はうるさそうに私の手を払いのけて、水の寄せたり引いたりする所に坐《すわ》りこんだま
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