ま、いやな顔をして胸のあたりを撫《な》でまわしています。私は何んだか言葉をかけるのさえためらわれて黙ったまま突立《つった》っていました。
「まああなたがこの子を助けて下さいましたんですね。お礼の申しようも御座《ござ》んせん」
すぐそばで気息《いき》せき切ってしみじみといわれるお婆様の声を私は聞きました。妹は頭からずぶ濡れになったままで泣きじゃくりをしながらお婆様にぴったり抱かれていました。
私たち三人は濡れたままで、衣物《きもの》やタオルを小脇《こわき》に抱《かか》えてお婆様と一緒に家の方に帰りました。若者はようやく立上って体を拭《ふ》いて行ってしまおうとするのをお婆様がたって頼んだので、黙ったまま私たちのあとから跟《つ》いて来ました。
家《うち》に着くともう妹のために床《とこ》がとってありました。妹は寝衣《ねまき》に着かえて臥《ね》かしつけられると、まるで夢中になってしまって、熱を出して木《こ》の葉のようにふるえ始めました。お婆様は気丈《きじょう》な方で甲斐々々《かいがい》しく世話をすますと、若者に向って心の底からお礼をいわれました。若者は挨拶《あいさつ》の言葉も得《え》いわないような人で、唯《ただ》黙ってうなずいてばかりいました。お婆様はようやくのことでその人の住《すま》っている所だけを聞き出すことが出来ました。若者は麦湯《むぎゆ》を飲みながら、妹の方を心配そうに見てお辞儀を二、三度して帰って行ってしまいました。
「Mさんが駈けこんで来なすって、お前たちのことをいいなすった時には、私は眼がくらむようだったよ。おとうさんやお母さんから頼まれていて、お前たちが死にでもしたら、私は生きてはいられないから一緒に死ぬつもりであの砂山をお前、Mさんより早く駈け上りました。でもあの人が通り合せたお蔭《かげ》で助かりはしたもののこわいことだったねえ、もうもう気をつけておくれでないとほんに困りますよ」
お婆様はやがてきっとなって私を前にすえてこう仰有《おっしゃ》いました。日頃《ひごろ》はやさしいお婆様でしたが、その時の言葉には私は身も心もすくんでしまいました。少しの間《あいだ》でも自分一人が助かりたいと思った私は、心の中をそこら中《じゅう》から針でつかれるようでした。私は泣くにも泣かれないでかたくなったままこちんとお婆様の前に下を向いて坐りつづけていました。しんしんと暑い日が縁《えん》の向うの砂に照りつけていました。
若者の所へはお婆様が自分で御礼《おれい》に行《ゆ》かれました。そして何か御礼の心でお婆様が持って行《い》かれたものをその人は何んといっても受取らなかったそうです。
それから五、六年の間はその若者のいる所は知《し》れていましたが、今は何処《どこ》にどうしているのかわかりません。私たちのいいお婆様はもうこの世にはおいでになりません。私の友達のMは妙なことから人に殺されて死んでしまいました。妹と私ばかりが今でも生き残っています。その時の話を妹にするたんびに、あの時ばかりは兄さんを心から恨《うら》めしく思ったと妹はいつでもいいます。波が高まると妹の姿が見えなくなったその時の事を思うと、今でも私の胸は動悸《どうき》がして、空《そら》恐ろしい気持ちになります。
底本:「一房の葡萄 他四篇」岩波文庫、岩波書店
1988(昭和63)年12月16日改版第1刷
親本:「一房の葡萄」叢文閣
1922(大正11)年6月
初出:「婦人公論」
1921(大正10)年7月
入力:鈴木厚司
校正:地田尚
1999年9月27日公開
2005年11月18日修正
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