取られて思わず父の顔を見た。泣き笑いと怒りと入れ交ったような口惜しげな父の眼も烈しく彼を見込んでいた。そして極度の侮蔑《ぶべつ》をもって彼から矢部の方に向きなおると、
「あなたひとつお願いしましょう、ちょっと算盤《そろばん》を持ってください」
とほとほと好意をこめたと聞こえるような声で言った。
矢部は平気な顔をしながらすぐさま所要の答えを出してしまった。
もうこれ以上彼のいる場所ではないと彼は思った。そしてふいと立ち上がるとかまわずに事務所の方に行ってしまった。
座敷とは事かわって、すっかり暗くなった囲炉裡《いろり》のまわりには、集まって来た小作人を相手に早田が小さな声で浮世話をしていた。内儀《おかみ》さんは座敷の方に運ぶ膳《ぜん》のものが冷えるのを気にして、椀《わん》のものをまたもとの鍋にかえしたりしていた。彼がそこに出て行くと、見る見るそこの一座の態度が変わって、いやな不自然さがみなぎってしまった。小作人たちはあわてて立ち上がるなり、草鞋《わらじ》のままの足を炉ばたから抜いて土間《どま》に下り立つと、うやうやしく彼に向かって腰を曲げた。
「若い且那《だんな》、今度はまあ御苦
前へ
次へ
全45ページ中27ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング