とにかく嘘をしなければ生きて行けないような世の中が無我無性にいやなんです。ちょっと待ってください。も少し言わせてください。……嘘をするのは世の中ばかりじゃもちろんありません。私自身が嘘のかたまりみたいなものです。けれどもそうでありたくない気持ちがやたらに私を攻め立てるのです。だから自分の信じている人や親しい人が私の前で平気で嘘をやってるのを見ると、思わず知らず自分のことは棚に上げて腹が立ってくるのです。これもしかたがないと思うんですが、……」
「遊んでいて飯が食えると自由自在にそんな気持ちも起こるだろうな」
 何を太平楽を言うかと言わんばかりに、父は憎々しく皮肉を言った。
「せめては遊びながら飯の食えるものだけでもこんなことを言わなければ罰《ばち》があたりますよ」
 彼も思わず皮肉になった。父に養われていればこそこんなはずかしめも受けるのだ。なんという弱い自分だろう。彼は皮肉を言いながらも自分のふがいなさをつくづく思い知らねばならなかった。それと同時に親子の関係がどんな釘に引っかかっているかを垣間《かいま》見たようにも思った。親子といえども互いの本質にくると赤の他人にすぎないのだなという淋しさも襲ってきた。乞食《こじき》にでもなってやろう、彼はその瞬間はたとそう思ったりした。自分の本質のために父が甘んじて衣食を給してくれているとの信頼が、三十にも手のとどく自分としては虫のよすぎることだったのだと省みられた。
 おそらく彼のその心の動きが父に鋭く響いたのだろう、父は今までの怒りに似げなく、自分にも思いがけないようなため息を吐いた。彼は思わず父を見上げた。父は畳一畳ほどの前をじっと見守って遠いことでも考えているようだった。
「俺《わ》しがこうして齷齪《あくせく》とこの年になるまで苦労しているのもおかしなことだが……」
 父の声は改まってしんみりとひとりごとのようになった。
「今お前は理想屋だとか言ったな。それだ。俺《わ》しはこのとおりの男だ。土百姓同様の貧乏士族の家に生まれて、生まれるとから貧乏には慣れている。物心のついた時には父は遠島になっていて母ばかりの暮らしだったので、十二の時にもう元服して、お米倉の米合を書いて母と子二人が食いつないだもんだった。それに俺《わ》しには道楽という道楽も別段あるではなし、一家が暮らして行くのにはもったいないほどの出世をしたといってもい
前へ 次へ
全23ページ中21ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング