階級から発しない思想もしくは動機によって成就された改造運動は、当初の目的以外の所に行って停止するほかはないだろう。それと同じように、現在の思想家や学者の所説に刺戟《しげき》された一つの運動が起こったとしても、そしてその運動を起こす人がみずから第四階級に属すると主張したところが、その人は実際において、第四階級と現在の支配階級との私生子にすぎないだろう。
 ともかくも第四階級が自分自身の間において考え、動こうとしだしてきたという現象は、思想家や学者に熟慮すべき一つの大きな問題を提供している。それを十分に考えてみることなしに、みずから指導者、啓発者、煽動家《せんどうか》、頭領をもって任ずる人々は多少笑止な立場に身を置かねばなるまい。第四階級は他階級からの憐憫《れんびん》、同情、好意を返却し始めた。かかる態度を拒否するのも促進するのも一に繋《かか》って第四階級自身の意志にある。
 私は第四階級以外の階級に生まれ、育ち、教育を受けた。だから私は第四階級に対しては無縁の衆生の一人である。私は新興階級者になることが絶対にできないから、ならしてもらおうとも思わない。第四階級のために弁解し、立論し、運動する、そんなばかげきった虚偽もできない。今後私の生活がいかように変わろうとも、私は結局在来の支配階級者の所産であるに相違ないことは、黒人種がいくら石鹸で洗い立てられても、黒人種たるを失わないのと同様であるだろう。したがって私の仕事は第四階級者以外の人々に訴える仕事として始終するほかはあるまい。世に労働文芸というようなものが主張されている。またそれを弁護し、力説する評論家がある。彼らは第四階級以外の階級者が発明した文字と、構想と、表現法とをもって、漫然と労働者の生活なるものを描く。彼らは第四階級以外の階級者が発明した論理と、思想と、検察法とをもって、文芸的作品に臨み、労働文芸としからざるものとを選り分ける。私はそうした態度を採ることは断じてできない。
 もし階級争闘というものが現代生活の核心をなすものであって、それがそのアルファでありオメガであるならば、私の以上の言説は正当になされた言説であると信じている。どんな偉い学者であれ、思想家であれ、運動家であれ、頭領であれ、第四階級な労働者たることなしに、第四階級に何者をか寄与すると思ったら、それは明らかに僭上沙汰《せんじょうざた》である。第四階級はその人たちのむだな努力によってかき乱されるのほかはあるまい。



底本:「惜しみなく愛は奪う」角川文庫、角川書店
   1969(昭和44)年1月30日改版初版
   1979(昭和54)年4月30日発行改版14版
初出:「改造」
   1922(大正11)年1月
入力:鈴木厚司
1999年2月13日公開
2005年11月19日修正
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