芸術家なりが、過去に属する低能者なら、労働者の生活をしていない学者思想家もまた同様だ。それは要するに五十歩百歩の差にすぎない」。この私の言葉に対して河上氏はいった、「それはそうだ。だから私は社会問題研究者としてあえて最上の生活にあるとは思わない。私はやはり何者にか申しわけをしながら、自分の仕事に従事しているのだ。……私は元来芸術に対しては深い愛着を持っている。芸術上の仕事をしたら自分としてはさぞ愉快だろうと思うことさえある。しかしながら自分の内部的要求は私をして違った道を採らしている」と。これでここに必要な二人の会話のだいたいはほぼ尽きているのだが、その後また河上氏に対面した時、氏は笑いながら「ある人は私が炬燵《こたつ》にあたりながら物をいっていると評するそうだが、全くそれに違いない。あなたもストーヴにあたりながら物をいってる方だろう」と言われたので、私もそれを全く首肯した。河上氏にはこの会話の当時すでに私とは違った考えを持っていられたのだろうが、その時ごろの私の考えは今の私の考えとはだいぶ相違したものだった。今もし河上氏があの言葉を発せられたら、私はやはり首肯したではあろうけれども、ある異なった意味において首肯したに違いない。今なら私は河上氏の言葉をこう解する、「河上氏も私も程度の差こそあれ、第四階級とは全く異なった圏内に生きている人間だという点においては全く同一だ。河上氏がそうであるごとく、ことに私は第四階級とはなんらの接触点をも持ちえぬのだ。私が第四階級の人々に対してなんらかの暗示を与ええたと考えたら、それは私の謬見《びゅうけん》であるし、第四階級の人が私の言葉からなんらかの影響を被《こうむ》ったと想感したら、それは第四階級の人の誤算である。第四階級者以外の生活と思想とによって育ち上がった私たちは、要するに第四階級以外の人々に対してのみ交渉を持つことができるのだ。ストーヴにあたりながら物をいっているどころではない。全く物などはいっていないのだ」と。
私自身などは物の数にも足らない。たとえばクロポトキンのような立ち優れた人の言説を考えてみてもそうだ。たといクロポトキンの所説が労働者の覚醒と第四階級の世界的勃興とにどれほどの力があったにせよ、クロポトキンが労働者そのものでない以上、彼は労働者を活《い》き、労働者を考え、労働者を働くことはできなかったのだ。彼が第四階級に与えたと思われるものは第四階級が与えることなしに始めから持っていたものにすぎなかった。いつかは第四階級はそれを発揮すべきであったのだ、それが未熟のうちにクロポトキンによって発揮せられたとすれば、それはかえって悪い結果であるかもしれないのだ。第四階級者はクロポトキンなしにもいつかは動き行くべき所に動いて行くであろうから。そしてその動き方の方がはるかに堅実で自然であろうから。労働者はクロポトキン、マルクスのような思想家をすら必要とはしていないのだ。かえってそれらのものなしに行くことが彼らの独自性と本能力とをより完全に発揮することになるかもしれないのだ。
それならたとえばクロポトキン、マルクスたちのおもな功績はどこにあるかといえば、私の信ずるところによれば、クロポトキンが属していた(クロポトキン自身はそうであることを厭《いと》ったであろうけれども、彼が誕生の必然として属せずにいられなかった)第四階級以外の階級者に対して、ある観念と覚悟とを与えたという点にある。マルクスの資本論でもそうだ。労働者と資本論との間に何のかかわりがあろうか。思想家としてのマルクスの功績は、マルクス同様資本王国の建設に成る大学でも卒業した階級の人々が翫味《がんみ》して自分たちの立場に対して観念の眼を閉じるためであるという点において最も著しいものだ。第四階級者はかかるものの存在なしにでも進むところに進んで行きつつあるのだ。
今後第四階級者にも資本王国の余慶が均霑《きんてん》されて、労働者がクロポトキン、マルクスその他の深奥な生活原理を理解してくるかもしれない。そしてそこから一つの革命が成就されるかもしれない。しかしそんなものが起こったら、私はその革命の本質を疑わずにはいられない。仏国革命が民衆のための革命として勃発したにもかかわらず、ルーソーやヴォルテールなどの思想が縁になって起こった革命であっただけに、その結果は第三階級者の利益に帰して、実際の民衆すなわち第四階級は以前のままの状態で今日まで取り残されてしまった。現在のロシアの現状を見てもこの憾《うら》みはあるように見える。
彼らは民衆を基礎として最後の革命を起こしたと称しているけれども、ロシアにおける民衆の大多数なる農民は、その恩恵から除外され、もしくはその恩恵に対して風馬牛であるか、敵意を持ってさえいるように報告されている。真個の第四
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