ったかも知れない。然しもう云われたことは云われてしまったのだ。
願わくは一人の人をもあやまることなくこの感想は行け。
二五
あまりに明かであって、しかも往々顧みられない事実は、一つの思想が体験的の検察なしに受取られるということだ。それは思想の提供者を空《むな》しく働かせ、享受者を空しく苦しめる。
二六
ニイチェが「私は自分が主張を固執するために焼き殺される場合があったら、それを避けよう。主張の固執は私の生命に値いするほど重大なものではない。然し主張を変じたが故に焼き殺されねばならぬというのなら、私は甘んじて焼かれよう。それは死に値いする」という意味のことをいったそうだ。この逆説《パラドックス》は正しいと私は思う。生命の向上は思想の変化を結果する。思想の変化は主張の変化を予想する。生きんとするものは、既成の主張を以て自己を金縛《かなしば》りにしてはなるまい。
二七
思想は一つの実行である。私はそれを忘れてはいない。
二八
私の発表したこの思想に、最も直接な示唆を与えてくれたのは阪田|泰雄《やすお》氏である。この機会を以て私は君に感謝する。その他、内面的経験に関《かかわ》りを持った人と物との凡てに対して私は深い感謝の意を捧げる。
二九
これは哲学の素養もなく、社会学の造詣《ぞうけい》もなく、科学に暗く宗教を知らない一人の平凡な偽善者の僅《わず》かばかりな誠実が叫び出した訴えに過ぎない。この訴えから些《いささ》かでもよいものを聴き分けるよい耳の持主があったならば、そしてその人が彼の為めによき環境を準備してくれたならば、彼もまた偽善者たるの苦しみから救われることが出来るであろう。
凡てのよきものの上に饒《ゆた》かなる幸あれ。
底本:「惜みなく愛は奪う」新潮文庫、新潮社
1955(昭和30)年1月25日発行
1968(昭和43)年12月20日25刷改版
1974(昭和49)年8月30日34刷(入力)
1987(昭和62)年10月5日58刷(校正)
入力:村田拓哉
校正:土屋隆 染川隆俊
2003年7月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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