味するのかも知れない。釈尊の菩提心《ぼだいしん》、ヨハネのロゴス、その他無数の名称はこの本能を意味すべく構出されたものであるかも知れない。然し私は自分の便宜の為めに仮りにそれを愛と名づける。愛には、本能と同じように既に種々な不純な属性的意味が膠着《こうちゃく》しているけれども、多くの名称の中で最も専門的でなく、かつ比較的に普遍的な内容をその言葉は含んでいるようだ。愛といえば人は常識的にそれが何を現わすかを朧《おぼ》ろげながらに知っている。
愛は人間に現われた純粋な本能の働きである。然し概念的に物事を考える習慣に縛られている私達は、愛という重大な問題を考察する時にも、極《きわ》めて習慣的な外面的な概念に捕えられて、その真相とは往々にして対角線的にかけへだたった結論に達していることはないだろうか。
人は愛を考察する場合、他の場合と同じく、愛の外面的表現を観察することから出発して、その本質を見窮《みきわ》めようと試みないだろうか。ポーロはその書翰《しょかん》の中に愛は「惜みなく与え」云々《うんぬん》といった、それは愛の外面的表現を遺憾なくいい現わした言葉だ。愛する者とは与える者の事である
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