的表現を超越しているが故でもある)。その場合私は、比喩《ひゆ》と讃美とによってわずかにこの尊い生活を偲《しの》ぶより外に道がないだろう。

        一三

[#図1、知的生活の構造]

        一四

 本能という言葉を用いるに当って私は多少の誤解を恐れないではない。この言葉は殊《こと》に科学によってその正しい意味から堕落させられている。というよりは、科学が素朴的に用いたこの言葉を俗衆が徹底的に歪《ゆが》め穢《けが》してしまった。然《しか》し今はそれが固有の意味にまで引き上げられなければならない。ベルグソンはこの言葉をその正しき意味に於《おい》て用い始めた。ラッセル(私は氏の文章を一度も読んだことがないけれども)もまたベルグソンを継承して、この言葉の正当な使用を心懸けているように見える。
 本能とは大自然の持っている意志を指すものと考えることが出来る。野獣にはこの力が野獣なりに赤裸々に現われている。自然科学はその現われを観察して、詳細にそれを記述した。そしてそれが人類の活動の中にも看取せられるのを附け加えた。この記述はいうまでもなく明かな事実である。然しその事実から、人
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