ほど羨《うらや》ましい。私の生活がああいう態度によって導かれる瞬間が偶《たま》にあったならば私は甫《はじ》めて真の創造を成就することが出来るであろうものを。
私は本能的生活の記述を蔑《ないがし》ろにして、あまり多くをその讃美の為めに空費したろうか。私は仮りにそれを許してもらいたい。何故なら、私は本能的生活を智的生活の上位に置こうと思うからだ。誰でも私のいう智的生活を習性的生活の上におかぬものはなかろう。然し本能的生活を智的生活の上におこうとする場合になると、多くの人々はそこに躊躇《ちゅうちょ》を感じはしないだろうか。現在人類の生活が智的生活をその基調としているという点に於て、その躊躇は無理のないことだともいえる。単に功利的な立場からのみ考えれば、その躊躇は正当なことだとさえいえる。然し凡ての生存は、それが本能の及ぶだけ純粋なる表現である場合に最も真であるという大事な要件が許されるならば、本能的生活は私にとって智的生活よりもより価値ある生活である。若し価値をもってそれを定めるのが不当ならば、より尊い生活である。しかも私はこの生活の内容を的確に発想することが出来ない(それはこの生活が理智
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