のみを以て凡ての現象を理智的に眺めていはしないか。そして智的生活を一歩踏み出したところに、更に緊張した純真な生活が伏在するのを見落すようなことはないか。若しそうした態度にあるならば、それはゆゆしき誤謬といわねばならぬ。人間の創造的生活はその瞬間に停止してしまうからだ。この本能的に対しておぼろげながらも推察の出来ない社会は、豚の如く健全な社会だといい得る外の何物でもあり得ない。
 自由なる創造の世界は遊戯の世界であり、趣味の世界であり、無目的の世界である。努力を必要としないが故に遊戯と云ったのである。義務を必要としないが故に趣味といったのである。生活そのものが目的に達する手段ではないが故に無目的といったのである。緩慢な、回顧的な生活にのみ囲繞《いにょう》されている地上の生活に於て、私はその最も純粋に近い現われを、相愛の極、健全な愛人の間に結ばれる抱擁に於て見出《みい》だすことが出来ると思う。彼等の床に近づく前に道徳知識の世界は影を隠してしまう。二人の男女は全く愛の本能の化身《けしん》となる。その時彼等は彼等の隣人を顧みない、彼等の生死を慮《おもんぱか》らない。二人は単に愛のしるしを与える
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