れがびしびしと人にあてはめられる社会から私が離れて行ったのは、結局悪いことではなかったと私は今でも思っている。
 神を知ったと思っていた私は、神を知ったと思っていたことを知った。私の動乱はそこから芽生えはじめた。その動乱の中を私はそろそろと自分の方へと帰って行った。目指す故郷はいつの間にか遙《はるか》に距《へだた》ってしまい、そして私は屡※[#二の字点、1−2−22]|蹉《つまず》いたけれども、それでも動乱に動乱を重ねながらそろそろと故郷の方へと帰って行った。

        四

 長い廻り道。
 その長い廻り道を短くするには、自分の生活に対する不満を本当に感ずる外にはない。生老病死の諸苦、性格の欠陥、あらゆる失敗、それを十分に噛《か》みしめて見ればそれでいいのだ。それは然《しか》し如何《いか》に言説するに易く実現するに難き事柄であろうぞ。私は幾度かかかる悟性の幻覚に迷わされはしなかったか。そしてかかる悟性と見ゆるものが、実際は既定の概念を尺度として測定されたものではなかったか。私は稀《まれ》にはポーロのようには藻掻《もが》いた。然し私のようには藻掻かなかった。親鸞《しんらん》のよ
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