い耽溺《たんでき》の過去を持った私を寂しく思わせないではない。然しそれにもかかわらず私は行かざるを得ない。
この男女関係の狂いから当然帰納されることは、現在の文化が男女両性の協力によって成り立つものではないという事だ。現時の文化は大は政治の大から小は手桶《ておけ》の小に至るまで悉《ことごと》く男子の天才によって作り上げられたものだといっていい。男性はその凡ての機関の恰好な使用者であるけれども、女性がそれに与《あず》かるためには、或る程度まで男性化するにあらざれば与かることが出来ない。男性は巧みにも女性を家族生活の片隅《かたすみ》に祭りこんでしまった。しかも家族生活にあっても、その大権は確実に男性に握られている。家族に供する日常の食膳と、衣服とは女性が作り出すことが出来よう。然しながら饗応《きょうおう》の塩梅《あんばい》と、晴れの場の衣裳とは、遂に男性の手によってのみ巧みに作られ得る。それは女性に能力がないというよりは、それらのものが凡《すべ》てその根柢《こんてい》に於て男性の嗜好《しこう》を満足するように作られているが故に、それを産出するのもまたおのずから男性の手によってなされるのを
前へ
次へ
全173ページ中165ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング