びと》(己れの罪を知ってそれを悲しむ人)は自分の強味と弱味との矛盾を声高く叫び得る幸福な人達なのだ。罪人の持つものも偽善者の持つものも畢竟は同じなのだ。ただ罪人は叫ぶ。それを神が聞く。偽善者は叫ぼうとする程に強さを持ち合わしていない。故に神は聞かない。それだけの差だと私には思える。よきサマリヤ人と悪《あ》しきサドカイ人とは、隣り合せに住んでいるのではないか。偽善者なる私は屡※[#二の字点、1−2−22]他人を偽善者と呼んだ。今にして私はそれを悲しく思う。何故に私は人と人との距《へだ》てをこんなに大きくしようとはしたろう。
こう云ったとて私は、世の義人に偽善者を裁《さば》く手心をゆるめて貰いたいと歎願するのではない。偽善者は何といっても義人からきびしく裁かれるふしだらさを持っている。私はただ偽善者もその心の片隅には人に示すのを敢てしない苦痛を持っているという事を知って貰えばいいのだ。それが私の弁解なのだ。
私もその苦痛は持っていた。人の前に私を私以上に立派に見せようとする虚妄《きょもう》な心は有り余るほど持っていたけれども、そこに埋めることの出来ない苦痛をも全く失ってはいなかった。そ
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