らないというのは自明のことであるから。
然しながら智的生活が本能的生活によって指導されねばならぬということについては不服を有《も》つ人がないとはいえない。智的生活は多くの人々の経験の総和が生み出した結果であり約束であるが、本能的生活は純粋個性内部の衝動であるが故に、必ずしも社会生活と順応することが出来ないだろうとの杞憂《きゆう》は起りがちに見えるからである。
けれども私は私の意味する本能的生活の意味が正しく理解されることを希《ねが》う。本能の欲求はいつでも各人の個性全体の上に働くところのものだ。その衝動は常に個性全体の飽満を伴って起る。この例は卑陋《ひろう》であるかも知れないが、理解を容易ならしむる為めにいって見ると、ここに一人の男がいて、肉慾の衝動に駆られて一人の少女を辱《はず》かしめたとしよう。肉慾も一つの本能である。その衝動の満足を求めたことは、そのまま許されることではないか。そう或る人は私に詰問するかも知れない。私はその人に問い返して見よう。あなたが考える前に先ずあなたをその男の位置におけ。あなたが肉慾的にのみその少女を欲しているのに、あなたはその少女に近づく時(全く固定的
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