論《よろん》とは智的生活の所産である。権威と独創とは本能的生活の所産である。そして現世では、いつでも前者が後者を圧倒する。
 釈迦《しゃか》は竜樹《りゅうじゅ》によって、基督は保羅《ポーロ》によって、孔子は朱子によって、凡てその愛の宝座から智慧《ちえ》と聖徳との座にまで引きずりおろされた。
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 愛を優しい力と見くびったところから生活の誤謬《ごびゅう》は始まる。
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 女は持つ愛はあらわだけれども小さい。男の持つ愛は大きいけれども遮《さえぎ》られている。そして大きい愛は屡※[#二の字点、1−2−22]《しばしば》あらわな愛に打負かされる。
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 ダヴィンチは「知ることが愛することだ」といった。愛することが知ることだ。
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 人の生活の必至最極の要求は自己の完成である。社会を完成することが自己の完成であり、自己の完成がやがて社会の完成となるという如きは、現象の輪廻《りんね》相を説明したにとどまって、要求そのものをいい現わした言葉ではない。
 自己完成の要求が誤って自己の一局部のそれに向けられた瞬間に、自己完成の道は跡方もなく
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