いるかを。それが人間に至って、全く反対の方向を取るというのか。そんな事があり得べきではない。ただ人間は nicety の仮面の下に自分自らを瞞着《まんちゃく》しようとしているのだ。そして人間はたしかにこの偽瞞の天罰を被っている。それは野獣にはない、人間にのみ見る偽善の出現だ。何故愛をその根柢的《こんていてき》な本質に於てのみ考えることが悪いのだ。それをその本質に於て考えることなしには人間の生活には遂に本当の進歩創作は持ち来《きた》されないであろう。
智的生活の動向はいつでも本能を堕落させ、それを第二義的な状態に於てのみ利用する。智的生活の要求するものは平安無事である。この生活にあっては、愛の本質よりもその現われが必要である。内部の要求はさもあらばあれ、互に与え合う事さえやれば、それで平安は保たれてゆく。それ故に倫理道徳は義務と献身との徳を高調する。人は遂にこの固定的な概念にあざむかれる。そして愛のないところに、愛が行うのと同じ行いをする。即ち愛の極印なき所有物を外界に向って恥じることもなく放射する。けれども愛の極印のない所有物は、一度外界に放射されると、またとはその人に返って来ない。
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