縦令必然的に起って来るとしても、なお家族制度を固執することに多分の便利が認められよう。然し個性の要求及びその完成から考える時、それはいかに不自然な結果を生ずるであろうよ。第一この制度の強制的存在のために、家族生活の神聖は、似而《にて》非《ひ》なる家族の交雑によって著しく汚される。愛なき男女の結合を強制することは、そのまま生活の堕落である。愛によらざる産子《さんし》は、産者にとって罪悪であり、子女にとって救われざる不幸である。愛によって生れ出た子女が、侮辱を蒙《こうむ》らねばならぬのは、この上なき曲事《きょくじ》である。私達はこれを救わなければならない。それが第一の喫緊事だ。それらのことについて私達はいかなるものの犠牲となっていることも出来ない。若しこの欲求の遂行によって外界に不便を来すなら、その外界がこの欲求に適応するように改造されなければならぬ筈《はず》だ。
 愛のある所には常に家族を成立せしめよ。愛のない所には必ず家族を分散せしめよ。この自由が許されることによってのみ、男女の生活はその忌むべき虚偽から解放され得る。自由恋愛から自由結婚へ。
 更に又、私は恋愛そのものについて一言を附け加える。恋愛の前に個性の自己に対する深き要求があることを思え。正しくいうと個性の全的要求によってのみ、人は愛人を見出すことに誤謬《ごびゅう》なきことが出来る。そして個性の全的要求は容易に愛を異性に対して動かさせないだろう。その代り一度見出した愛人に対しては、愛はその根柢から揺《ゆら》ぎ動くだろう。かくてこそその愛は強い。そして尊い。愛に対する本能の覚醒《かくせい》なしには、縦令男女交際にいかなる制限を加うるとも、いかなる修正を施すとも、その努力は徒労に終るばかりであろう。

        二四

 もう私は私の饒舌《じょうぜつ》から沈黙すべき時が来た。若し私のこの感想が読者によって考えられるならば、部分的に於てでなく、全体に於て考えられんことを望む。殊《こと》に本能的生活の要求を現実の生活にあてはめて私が申出た言葉に於てそうだ。社会生活はその総量に於て常に顧慮されなければならぬ。その一部門だけに対する凝視は、往々にして人を迷路に導き込むだろう。
 私もまた部分的考察に走り過ぎた嫌《きら》いがないとはいえない。私は人間に現われた本能即ち愛の本能をもっと委《くわ》しく語ってやむべきであったかも知れない。然しもう云われたことは云われてしまったのだ。
 願わくは一人の人をもあやまることなくこの感想は行け。

        二五

 あまりに明かであって、しかも往々顧みられない事実は、一つの思想が体験的の検察なしに受取られるということだ。それは思想の提供者を空《むな》しく働かせ、享受者を空しく苦しめる。

        二六

 ニイチェが「私は自分が主張を固執するために焼き殺される場合があったら、それを避けよう。主張の固執は私の生命に値いするほど重大なものではない。然し主張を変じたが故に焼き殺されねばならぬというのなら、私は甘んじて焼かれよう。それは死に値いする」という意味のことをいったそうだ。この逆説《パラドックス》は正しいと私は思う。生命の向上は思想の変化を結果する。思想の変化は主張の変化を予想する。生きんとするものは、既成の主張を以て自己を金縛《かなしば》りにしてはなるまい。

        二七

 思想は一つの実行である。私はそれを忘れてはいない。

        二八

 私の発表したこの思想に、最も直接な示唆を与えてくれたのは阪田|泰雄《やすお》氏である。この機会を以て私は君に感謝する。その他、内面的経験に関《かかわ》りを持った人と物との凡てに対して私は深い感謝の意を捧げる。

        二九

 これは哲学の素養もなく、社会学の造詣《ぞうけい》もなく、科学に暗く宗教を知らない一人の平凡な偽善者の僅《わず》かばかりな誠実が叫び出した訴えに過ぎない。この訴えから些《いささ》かでもよいものを聴き分けるよい耳の持主があったならば、そしてその人が彼の為めによき環境を準備してくれたならば、彼もまた偽善者たるの苦しみから救われることが出来るであろう。
 凡てのよきものの上に饒《ゆた》かなる幸あれ。



底本:「惜みなく愛は奪う」新潮文庫、新潮社
   1955(昭和30)年1月25日発行
   1968(昭和43)年12月20日25刷改版
   1974(昭和49)年8月30日34刷(入力)
   1987(昭和62)年10月5日58刷(校正)
入力:村田拓哉
校正:土屋隆 染川隆俊
2003年7月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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