育も、学術も、産業も、大体に於てはこの智的生活の強調と実践とにその目標をおいている。だから若し私がこの種の生活にのみ安住して、社会が規定した知識と道徳とに依拠していたならば、恐らく社会から最上の報酬を与えられるだろう。そして私の外面的な生存権は最も確実に保障されるだろう。そして社会の内容は益※[#二の字点、1−2−22]《ますます》平安となり、潤色され、整然たる形式の下に統合されるだろう。
然し――社会にもその動向は朧《おぼ》ろげに看取される如く――私には智的生活よりも更に緊張した生活動向の厳存するのをどうしよう。私はそれを社会生活の為めに犠牲とすべきであるか。社会の最大の要求なる平安の為めに、進歩と創造の衝動を抑制すべきであるか。私の不満は謂《いわ》れのない不満であらねばならぬだろうか。
社会的生活は往々にして一個人のそれより遅鈍であるとはいえ、私の持っているものを社会が全然欠いているとは思われない。何故ならば、私自身が社会を組立てている一分子であるのは間違いのないことだから。私の欲するところは社会の欲するところであるに相違ない。そして私は平安と共に進歩を欲する。潤色と共に創造を欲する。その衝動を社会は今|継子《ままこ》扱いにはしているけれども――そして社会なるものは性質上多分永久にそうであろうけれども――その何処かの一隅には必ず潜勢力としてそれが伏在していなければならぬ。社会は社会自身の意志に反して絶えず進歩し創造しつつあるから。
私が私自身になり切る一元の生活、それを私は久しく憧《あこが》れていた。私は今その神殿に徐《おもむ》ろに進みよったように思う。
一二
ここまでは縦令《たとい》たどたどしいにせよ、私の言葉は私の意味しようとするところに忠実であってくれた。然《しか》しこれから私が書き連ねる言葉は、恐らく私の使役に反抗するだろう。然し縦令反抗するとも私はこれで筆を擱《お》くことは出来ない。私は言葉を鞭《むちう》つことによって自分自身を鞭って見る。私も私の言葉もこの個性表現の困難な仕事に対して蹉《つまず》くかも知れない。ここまで私の伴侶《はんりょ》であった(恐らくは少数の)読者も、絶望して私から離れてしまうかも知れない。私はその時読者の忍耐の弱さを不満に思うよりも私自身の体験の不十分さを悲しむ外《ほか》はない。私は言葉の堕落をも尤《
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