知るのは、私を極度に厳粛にする。他人に対しては与え得ないきびしい鞭打《むちうち》を与えざるを得ないものは畢竟《ひっきょう》自身に対してだ。誘惑にかかったように私はそこに導かれる。笞《しもと》にはげまされて振い立つ私を見るのも、打撲に抵抗し切れなくなって倒れ伏す私を見るのも、共に私が生きて行く上に、無くてはならぬものであるのを知る。その時に私は勇ましい。私の前には力一杯に生活する私の外には何物をも見ない。私は乗り越え乗り越え、自分の力に押され押されて未見の境界へと険難を侵して進む。そして如何なる生命の威脅にもおびえまいとする。その時傷の痛みは私に或る甘さを味《あじわ》わせる。然しこの自己緊張の極点には往々にして恐ろしい自己疑惑が私を待ち設けている。遂に私は疲れ果てようとする。私の力がもうこの上には私を動かし得ないと思われるような瞬間が来る。私の唯一つの城廓なる私自身が見る見る廃墟《はいきょ》の姿を現わすのを見なければならないのは、私の眼前を暗黒にする。
けれどもそれらの不安や失望が常に私を脅かすにもかかわらず、太初《はじめ》の何であるかを知らない私には、自身を措《お》いてたよるべき何物もない。凡ての矛盾と渾沌《こんとん》との中にあって私は私自身であろう。私を実価以上に値《ね》ぶみすることをしまい。私を実価以下に虐待することもしまい。私は私の正しい価の中にあることを勉めよう。私の価値がいかに低いものであろうとも、私の正しい価値の中にあろうとするそのこと自身は何物かであらねばならぬ。縦《よ》しそれが何物でもないにしろ、その外に私の採るべき態度はないではないか。一個の金剛石を持つものは、その宝玉の正しい価値に於《おい》てそれを持とうと願うのだろう。私の私自身は宝玉のように尊いものではないかも知れない。然し心持に於ては宝玉を持つ人の心持と少しも変るところがない。
私は私のもの、私のただ一つのもの。私は私自身を何物にも代え難く愛することから始めねばならない。
若し私のこの貧しい感想を読む人があった時、この出発点を首肯することが出来ないならば、私はその人に更にいい進むべき何物をも持ち得ない。太初が道《ことば》であるか行《おこない》であるかを(考えるのではなく)知り切っている人に取っては、この感想は無視さるべき無益なものであろう。私は自分が極《きわ》めて低い生活途上に立ってい
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