一歩も進んではいないのだ。地球の内部が残っていさえすれば、縦令地殻が跡形なく壊《こわ》れてしまっても、一つの遊星としての存在を続ける事が出来るのだ。然し内部のない地球というものは想像して見ることも出来ないだろう。それと同じに私のないお前は想像することが出来ないのだ。
お前に取って私以上に完全なものはない。そういったとて、その意味は、世の中の人が概念的に案出する神や仏のように、完全であろうというのではない。お前が今まで、宗教や、倫理や、哲学や、文芸などから提供せられた想像で測れば、勿論《もちろん》不完全だということが出来るだろう。成程私は悪魔のように恥知らずではないが、又天使のように清浄でもない。私は人間のように人間的だ。私の今のこの瞬間の誇りは、全力を挙げて何の躊躇もなく人間的であるということに帰する。私の所に悪魔だとか天使だとか、お前の頭の中で、こね上げた偶像を持って来てくれるな。お前が生きなければならないこの現在にとって、それらのものとお前との間には無益有害な広い距離が挾《はさ》まっている。
お前が私の極印を押された許可状を持たずに、霊から引放した肉だけにお前の身売りをすると、そこに実質のない悪魔というものが、さも厳《いか》めしい実質を備えたらしく立ち現われるのだ。又お前が肉から強《し》いて引き離した霊だけに身売りをすると、そこに実質のない天使というものが、さも厳めしい実質を備えたらしく立ち現われるのだ。そんな事をしてる中《うち》に、お前は段々私から離れて行って、実質のない幻影に捕えられ、そこに、奇怪な空中楼閣を描き出すようになる。そして、お前の衷《うち》には苦しい二元が建立《こんりゅう》される。霊と肉、天国と地獄、天使と悪魔、それから何、それから何……対立した観念を持ち出さなければ何んだか安心が出来ない、そのくせ観念が対立していると何んだか安心が出来ない、両|天秤《てんびん》にかけられたような、底のない空虚に浮んでいるような不安がお前を襲って来るのだ。そうなればなる程お前は私から遠ざかって、お前のいうことなり、思うことなり、実行することなりが、一つ残らず外部の力によって支配されるようになる。お前には及びもつかぬ理想が出来、良心が出来、道徳が出来、神が出来る。そしてそれは、皆私がお前に命じたものではなくて、外部から借りて来たものばかりなのだ。そういうものを振
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