にして一個の尋常な人間となる。それは人々の好き好きだ。私は弱いが故に後者を選ぶ外《ほか》に途《みち》が残されていなかったのだ。
 運命は畢竟不公平であることがない。彼等には彼等のものを与え、私には私のものを与えてくれる。しかも両者は一度は相失う程に分れ別れても、何時《いつ》かは何処かで十字路頭にふと出遇《であ》うのではないだろうか。それは然し私が顧慮するには及ばないことだ。私は私の道を驀地《まっしぐら》に走って行く外はない。で、私は更にこの筆を続けて行く。

        六

 私の個性は私に告げてこう云う。
 私はお前だ。私はお前の精髄だ。私は肉を離れた一つの概念の幽霊ではない。また霊を離れた一つの肉の盲動でもない。お前の外部と内部との溶け合った一つの全体の中に、お前がお前の存在を有《も》っているように、私もまたその全体の中で厳《きび》しく働く力の総和なのだ。お前は地球の地殻のようなものだ。千態万様の相に分れて、地殻は目まぐるしい変化を現じてはいるが、畢竟《ひっきょう》そこに見出されるものは、静止であり、結果であり、死に近づきつつあるものであり、奥行のない現象である。私は謂《い》わば地球の外部だ。単純に見るとそこには渾沌《こんとん》と単一とがあるばかりとも思われよう。けれどもその実質をよく考えてみると、それは他の星の世界と同じ実質であり、その中に潜む力は一瞬時にして、地殻を思いのままに破壊することも出来、新たに地表を生み出すことも出来るのだ。私とお前とは或る意味に於《おい》て同じものだ。然し他の意味に於て較べものにならない程違ったものだ。地球の内部は外部からは見られない。外部から見て、一番よく気のつく所は何といっても表面だ。だから人は私に注意せずに、お前ばかりを見て、お前の全体だと窺《うかが》っているし、お前もまたお前だけの姿を見て、私を顧みず、恐れたり、迷ったり、臆したり、外界を見るにもその表面だけを伺って満足している。私に帰って来ない前にお前が見た外界の姿は誠の姿ではない。お前は私が如何なるものであるかを本当に知らない間は、お前の外界を見る眼はその正しい機能を失っているのだ。それではいけない。そんなことでは縦令《たとい》お前がどれ程|齷齪《あくせく》して進んで行こうとも、急流を遡《さかのぼ》ろうとする下手《へた》な泳手のように、無益に藻掻《もが》いてしかも
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