それは男性たる私が如何に努力しても、臆測《おくそく》することが出来ない。そして恐らくは誰も出来ないだろう。その異同を見極めるだけにでも女性の中から天才の出現するのは最も望まるべきことだ。同じであったならそれでよし、若し異っていたら、男性の創《つく》り上げた文化と、女性のそれとの正しき抱擁によって、それによってのみ、私達凡ての翹望《ぎょうぼう》する文化は成り立つであろう。
更に私は家族生活について申し出しておく。家族とは愛によって結び付いた神聖な生活の単位である。これ以外の意味をそれに附け加えることは、その内容を混乱することである。法定の手続と結婚の儀式とによって家族は本当の意味に於て成り立つと考えられているが、愛する男女に取っては、本質的にいうと、それは少しも必要な条件ではない。又離婚即ち家族の分散が法の認許によって成り立つということも必要な条件ではない。凡てかかる条件は、社会がその平安を保持するために案出して、これを凡ての男女に強制しているところのものだ。国家が今あるがままの状態で、民衆の生活を整理して行くためには、家族が小国家の状態で強国に維持されることを極めて便利とする。又財産の私有を制度となさんためには、家族制度の存立と財産継承の習慣とが欠くべからざる必要事である。これらの外面的な情実から、家族は国家の柱石、資本主義の根拠地となっている。その為めには、縦令《たとい》愛の失われた男女の間にも、家族たる形体を固守せしめる必要がある。それ故に家族の分散は社会が最も忌み嫌《きら》うところのものである。
おしなべての男女もまた、社会のこの不言不語の強圧に対して柔順である。彼等の多数は愛のない所にその形骸《けいがい》だけを続ける。男性はこの習慣に依頼して自己の強権を保護され、女性はまたこの制度の庇護《ひご》によってその生存を保障される。そしてかくの如き空虚な集団生活の必然的な結果として、愛なき所に多数の子女が生産される。そして彼等は親の保護を必要とする現在の社会にあって(私は親の保護を必要としない社会を予想しているが故にかくいうのだ)親の愛なくして育たねばならぬ。そして又一方には、縦令愛する男女でも、家族を形造るべき財産がないために、結婚の形式を取らずに結婚すれば、その子は私生児として生涯隣保の擯斥《ひんせき》を受けねばならぬ。
社会からいったならば、かかる欠陥は
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