を以て弱味を弥縫するところに無恥な安住をしているというのは、少しさばけ過ぎた見方だとは云われまいか。私は義人が次の点に於て偽善者を信じていただきたいと思う。それは偽善者もまた心|窃《ひそ》かに苦しんでいるという一事だ。考えて見てもほしい。多少の強さと弱さとを同時に持ち合わしているものが、二つの力の矛盾を感じないでいられようか。矛盾を感じながら平然としてそこに無恥の安住をのみ続けていることが出来ようか。
偽善者よ、お前は全くひどい目に遇わされた。それは当然な事だ。お前は本当に不愉快な人間だから。お前はいつでも然り然り否々といい切ることが出来ないから。毎時《いつ》でもお前には陰険なわけへだてが附きまつわっているから。お前は憎まれていい。辱《はずか》しめられていい。悪魔視されていい。然しお前の心の隅の人知れぬ苦痛をそっと眺《なが》めてやる人はないのか。お前が人並に見られたい為めに、お前自身にさえ隠そうと企てているその人知れぬ苦痛を一寸《ちょっと》でも暖かく触《さわ》ろうという人はないのか。偽善者よ、私は自身偽善者であるが故によくそれを知っている。義人のすぐ隣に住むと考えられている罪人《つみびと》(己れの罪を知ってそれを悲しむ人)は自分の強味と弱味との矛盾を声高く叫び得る幸福な人達なのだ。罪人の持つものも偽善者の持つものも畢竟は同じなのだ。ただ罪人は叫ぶ。それを神が聞く。偽善者は叫ぼうとする程に強さを持ち合わしていない。故に神は聞かない。それだけの差だと私には思える。よきサマリヤ人と悪《あ》しきサドカイ人とは、隣り合せに住んでいるのではないか。偽善者なる私は屡※[#二の字点、1−2−22]他人を偽善者と呼んだ。今にして私はそれを悲しく思う。何故に私は人と人との距《へだ》てをこんなに大きくしようとはしたろう。
こう云ったとて私は、世の義人に偽善者を裁《さば》く手心をゆるめて貰いたいと歎願するのではない。偽善者は何といっても義人からきびしく裁かれるふしだらさを持っている。私はただ偽善者もその心の片隅には人に示すのを敢てしない苦痛を持っているという事を知って貰えばいいのだ。それが私の弁解なのだ。
私もその苦痛は持っていた。人の前に私を私以上に立派に見せようとする虚妄《きょもう》な心は有り余るほど持っていたけれども、そこに埋めることの出来ない苦痛をも全く失ってはいなかった。そ
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