いないか、その人を知らないかなぞと尋ねてみたが、さらに手がかりは得られなかった。硫黄《いおう》採掘場《さいくつば》の風景画もとうとう私の手もとには届いて来なかった。
 こうして二年三年と月日がたった。そしてどうかした拍子に君の事を思い出すと、私は人生の旅路のさびしさを味わった。一度とにかく顔を合わせて、ある程度まで心を触れ合ったどうしが、いったん別れたが最後、同じこの地球の上に呼吸しながら、未来|永劫《えいごう》またと邂逅《めぐりあ》わない……それはなんという不思議な、さびしい、恐ろしい事だ。人とは言うまい、犬とでも、花とでも、塵《ちり》とでもだ。孤独に親しみやすいくせにどこか殉情的で人なつっこい私の心は、どうかした拍子に、このやむを得ない人間の運命をしみじみと感じて深い悒鬱《ゆううつ》に襲われる。君も多くの人の中で私にそんな心持ちを起こさせる一人だった。
 しかも浅はかな私ら人間は猿《さる》と同様に物忘れする。四年五年という歳月は君の記憶を私の心からきれいにぬぐい取ってしまおうとしていたのだ。君はだんだん私の意識の閾《しきい》を踏み越えて、潜在意識の奥底に隠れてしまおうとしていたのだ
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