に時おり五分刈りの濃い頭の毛を逆さになで上げる男ぼれのする君の顔が部屋を明るくしていた。君はがんじょうな文鎮《おもし》になって小さな部屋を吹雪《ふぶき》から守るように見えた。温《あたた》まるにつれて、君の周囲から蒸《む》れ立つ生臭い魚の香は強く部屋じゅうにこもったけれども、それは荒い大海を生々しく連想させるだけで、なんの不愉快な感じも起こさせなかった。人の感覚というものも気ままなものだ。
 楽しい会話と言った。しかしそれはおもしろいという意味ではもちろんない。なぜなれば君はしばしば不器用な言葉の尻《しり》を消して、曇った顔をしなければならなかったから。そして私も苦しい立場や、自分自身の迷いがちな生活を痛感して、暗い心に捕えられねばならなかったから。
 その晩君が私に話して聞かしてくれた君のあれからの生活の輪郭を私はここにざっ[#「ざっ」に傍点]と書き連ねずにはおけない。
 札幌《さっぽろ》で君が私を訪れてくれた時、君には東京に遊学すべき道が絶たれていたのだった。一時北海道の西海岸で、小樽《おたる》をすら凌駕《りょうが》してにぎやかになりそうな気勢を見せた岩内港は、さしたる理由もなく、少
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