とをたてて、その足もとに行っては消え、行っては消えするのが見え渡る。
 帆がおろされた。船は海岸近くの波に激しく動揺しながら、艫を海岸のほうに向けかえてだんだんと汀《みぎわ》に近寄って行く。海産物会社の印袢天《しるしばんてん》を着たり、犬の皮か何かを裏につけた外套《がいとう》を深々と羽織ったりした男たちが、右往左往に走りまわるそのあたりを目がけて、君の兄上が手慣れたさばき[#「さばき」に傍点]でさっ[#「さっ」に傍点]と艫綱《ともづな》を投げると、それがすぐ幾十人もの男女の手で引っぱられる。船はしきりと上下する舳《へさき》に波のしぶきを食いながら、どんどん砂浜に近寄って、やがて疲れ切った魚のように黒く横たわって動かなくなる。
 漁夫たちは艪《ろ》や舵《かじ》や帆の始末を簡単にしてしまうと、舷《ふなべり》を伝わって陸におどり上がる。海産物製造会社の人夫たちは、漁夫たちと入れ替わって、船の中に猿《ましら》のように飛び込んで行く。そしてまだ死に切らない鱈《たら》の尾をつかんで、礫《こいし》のように砂の上にほうり出す。浜に待ち構えている男たちは、目にもとまらない早わざで数を数えながら、魚を畚《もっこ》の中にたたき込む。漁夫たちは吉例のように会社の数取《かずと》り人に対して何かと故障を言いたててわめく。一日ひっそりかん[#「ひっそりかん」に傍点]としていた浜も、このしばらくの間だけは、さすがににぎやかな気分になる。景気にまき込まれて、女たちの或《あ》る者まで男といっしょになってけんか腰に物を言いつのる。
 しかしこのはなばなしいにぎわいも長い間ではない。命をなげ出さんばかりの険しい一日の労働の結果は、わずか十数分の間でたわいもなく会社の人たちに処分されてしまうのだ。君が君の妹を女たちの群れの中から見つけ出して、忙《せわ》しく目を見かわし、言葉をかわす暇もなく、浜の上には乱暴に踏み荒された砂と、海藻《かいそう》と小魚とが砂まみれになって残っているばかりだ。そして会社の人夫たちはあとをも見ずにまた他の漁船のほうへ走って行く。
 こうして岩内じゅうの漁夫たちが一生懸命に捕獲して来た魚はまたたくうちにさらわれてしまって、墨のように煙突から煙を吐く怪物のような会社の製造所へと運ばれて行く。
 夕焼けもなく日はとっぷり[#「とっぷり」に傍点]と暮れて、雪は紫に、灯《ひ》は光なくただ赤くば
前へ 次へ
全57ページ中38ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング