《かんしゃく》に漏らしているのがある。君はその男をよく知っている。小学校時代には教室まで一つだったのだ。それが十年かそこらの年月の間に、二人の生活は恐ろしくかけ隔たってしまったのだ。君はそんな人たちを一度でもうらやましいと思った事はない。その人たちの生活の内容のむなしさを想像する充分の力を君は持っている。そして彼らが彼らの導くような生活をするのは道理があると合点がゆく。金があって才能が平凡だったら勢いああしてわずかに生の倦怠《けんたい》からのがれるほかはあるまいとひそかに同情さえされぬではない。その人たちが生に飽満して暮らすのはそれでいい。しかし君の周囲にいる人たちがなぜあんな恐ろしい生死の境の中に生きる事を僥倖《ぎょうこう》しなければならない運命にあるのだろう。なぜ彼らはそんな境遇――死ぬ瞬間まで一分の隙《すき》を見せずに身構えていなければならないような境遇にいながら、なぜ生きようとしなければならないのだろう。これは君に不思議ななぞのようなここちを起こさせる。ほんとうに生は死よりも不思議だ。
 その人たちは他人眼《よそめ》にはどうしても不幸な人たちと言わなければならない。しかし君自身の不幸に比べてみると、はるかに幸福だと君は思い入るのだ。彼らにはとにかくそういう生活をする事がそのまま生きる事なのだ。彼らはきれいさっぱり[#「さっぱり」に傍点]とあきらめをつけて、そういう生活の中に頭からはまり込んでいる。少しも疑ってはいない。それなのに君は絶えずいらいらして、目前の生活を疑い、それに安住する事ができないでいる。君は喜んで君の両親のために、君の家の苦しい生活のために、君のがんじょうな力強い肉体と精力とを提供している。君の父上のかりそめの風邪《かぜ》がなおって、しばらくぶりでいっしょに漁《りょう》に出て、夕方になって家に帰って来てから、一家がむつまじくちゃぶ[#「ちゃぶ」に傍点]台のまわりを囲んで、暗い五|燭《しょく》の電燈の下で箸《はし》を取り上げる時、父上が珍しく木彫のような固い顔に微笑をたたえて、
 「今夜ははあおまんま[#「おまんま」に傍点]がうめえぞ」
と言って、飯茶わんをちょっと押しいただくように目八分に持ち上げるのを見る時なぞは、君はなんと言っても心から幸福を感ぜずにはいられない。君は目前の生活を決して悔やんでいるわけではないのだ。それにも係わらず、君は何
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